1章8話

 レンとタクマは目覚めると、重い体を起こす。昨日は夜中までユウリの文句を聴いていたのであまり眠れていない。だが、彼らの足取りが重いのはそれとは別の問題だった。
 それは今日がレベル3昇格試験の結果発表だということだ。正直、レンとタクマは試験時に死亡するという無残な結果に終わっている。また不合格だということはわかっているが、それでも同期の者達がどんどん上に上がって行くのを、指を咥えて見ていなければならないのだ。

 2人がやっとのことで食堂のあるフロアへやってくると、すでに人だかりができていた。
 彼らが群がっている先には、第8期のレベル3昇格試験の合格者が一覧になった紙が張り出されているのだろう。
「まぁ、俺達には関係がないし……先に朝飯食っちまおうぜっ」
 レンがそう言うと、タクマも頷く。朝はウェイトレスがいない為、食事は自分達で運ぶ決まりになっている。いつもより短い食堂の列に並んだ二人は朝食のメニューをぼんやりと眺めていた。
 自分の番になり、さんざん悩んだ結果いつも通りの定食を注文する2人。いつも注文するまでは冒険した食べ物を選ぼうとするのだが、決まって定食に落ち着いてしまう。
 レンが運ばれてきた料理を手に取ると、後ろのタクマに料理が届くまで待っていた。人だかりの中で一喜一憂する彼らを横目に見ていた2人の元に同期の男が近づいてきた。
「タクマ。やったな! お前もついにレベル3かよっ」
「ぶっ」
 余りの驚きに、レンは手にした料理をひっくり返してしまいそうになった。タクマに至っては、差し出された料理をいつまでも受け取ることなく呆然と立ち尽くしている。
「え? なに? 俺に対する嫌がらせなわけ? 冗談でもそんなこと言うなよっ」
 タクマが真顔でそう答えると、同期の彼はにんまりと笑いながら告げる。
「馬鹿言え。俺がお前にそんなこと言ってどうなるんだよ。そんなに信用できないなら、自分で確認すればいいじゃないか」
「…………え? まじなの?」
 ついにタクマは運ばれてきた料理そっちのけで、人だかりの元へと走って行ってしまう。
 その様子を眺めていたレンは友を祝福するとともに、これで自分だけが置いてけぼりにされたという寂しさが入り混じって複雑な心境だった。

 タクマの分と2つの料理を抱えたレンは近くのテーブルにそれを並べるとゆっくりとした歩調で集団の元へと向かって歩き始めた。集団の中心でタクマのひときわ大きい「よっしゃあ」の声が響く。
「レン。やったぜっ! 一番下だけど……確かに俺の名前があるっ」
「そうか……良かったな。おめでとう」
 集団から顔を出したタクマにレンがそう言うと、
「何言ってやがる。一番上を見てみろ。……おまえの名前も載ってるぜ」
「え?……嘘……」
 レンは思わずタクマや集団を押しのけるようにして前の張り紙に近寄って行った。
 一枚の紙には第8期レベル3合格者14名の名前が連なっている。一番最後には確かにタクマの名前があるのだが……。レンの名前はどこにもない。一番上に書かれた名前はレンとは別の者だったのだ。
「タクマっ! てめぇぬか喜びさせんじゃねぇよっ」
 親友の行為にレンがむっとしたが、彼は全然違う答えを告げた。
「何言ってんだ。お前はそっちの紙じゃねぇ。上の紙だ」
「上って……合格発表は一枚しか――」
 レンはそこまで口に出して、動きを止めた。普通なら一枚しか張り出されていないはずの合格者発表の大判の紙の上にもう一枚紙が張り出されていたのだ。ただし、こちらは4分の1程度の大きさの小さな紙だったが。
 殆どが白紙部分の多いその紙に一行だけの短い文章が記されている。
そこには≪第7.5期レベル3合格者 1名 アサギ レン≫と書かれていたのだ。

「7.5期……『.5』ってなんだよっ!」
 

 
「――曾木司令官。三十二階層制圧作戦はつつがなく進行していると思って問題ないな?」
「はい。全て問題なく進んでおります」
 曾木と呼ばれた男は、暗闇に映し出される12のディスプレイに向かって頭を下げた。
 彼の胸には8個の勲章が飾られていたが、今ここではそんなものは無意味だ。ここに存在する12個のディスプレイ。その先にいるのはこのグラウンド・エデンのトップ。
 俗にいう十二家と呼ばれる彼らは地上において上級氏族として、このグランド・エデン創設に出資した者達である。ここに住む者の頂点である彼らはこの世界のトップだと言える。

 暗い部屋に一人で座った曾木の瞳が光る。
「しかし……三十二階層制圧作戦は人類にとっても大きな前進となる重要な作戦です。何故にレベル5の起用を認めず、レベル3の新兵を投入する必要があったのですか?」
「……レベル5は国の財産だ。君も上級司令官ならわかるだろ? 新しいフロアを手に入れる――討伐作戦の成功率の低さを」
「不知羽様。お言葉を返す様ですが、これまでの討伐作戦には必ずといってご子息が参戦しておりました。レべル5の不参戦、それだけでも兵士たちのモチベーションは変わってくるかと……」
 曾木の言葉に一番上部にあるディスプレイから声が発せられる。
「これは我々『十二家』の総意で決めたことだ。不知羽の一存ではない」
 その言葉を筆頭に別のディスプレイからも口々に声が響く。
「たかだか全体の5%しか出資してない不知羽家にそんな権利があるはずなかろうっ」
「そう言う三重家もせいぜい7%程度だろう」
「9%のお主と対して変わりないわい」
 言い合いを始めたのは主に三重家と上戸家だ。再び最初に発した上部のディスプレイから声が発せられると彼らの会話が止む。
「いづれにせよ。我々の総意に違いはない。最高司令官の君の意見は参考として受け取っておこう。君がやるべきことは、作戦の成功と今度の作戦に参加させる兵士の情報を我々に渡す事だ。――君はまだ納得していないのだろう。この事案において、最高司令官である君ではなく、不知羽の娘が司令官を務めることに」
「いえ……そのようなことは。精一杯御助力させていただきます」
 曾木は頭を下げるとディスプレイ先との交信を絶った。
 自分の娘程年の離れた若葉司令官とレベル5を欠いた今回の作戦。曾木は額の前で両手を組むと何かを瞑想するようにゆっくりと瞳を閉じた。

 先程三重家が言ったように不知羽家は十二家の中では最も出資額が少ない。十二家の権力は出資額に比例する。なかでも先程上部のディスプレイに接続されていた人物。阿羅神家の当主は全体の36%以上の出資者である。それは事実上このグラウンド・エデンの最高権力者だ。
 彼がイエスと言えば、他の十一家全員が意見を合わせない限り対抗することはできない。だが、力の弱い十二家は彼の息のかかった者だという。つまり、事実上彼の意見を覆すことのできるものは誰一人としていないのだ。

 だが、曾木は疑問に思っていた。十二家で最も権力のない不知羽家なのだが、どうも彼らに有利な方向に進んでいる様な気がしてならない。
 息子の前線への不参加――娘の司令官としての参加――
 研修生の経験積みにしては作戦が大きすぎる。討伐作戦のような大きな戦争には経験の豊富な司令官が勤めるべきだ。曾木は単に自分が司令官補佐という役回りをやらされたから妬んで言っているわけではない。そう。いうなれば、十二家は今回の作戦を成功させようと思っていないように映ったのだ。
 だからといって、曾木にどうすることもできない。今自分が与えられた役割を精一杯務めるだけだ。だから彼はこうして全てを飲み込んで、両手を組みながらそれを額にやって抑えることしかできなかった。

「以上。第8期レベル3合格者14名」
 講堂に並んだ14名の生徒達。前から順番に名前を呼ばれ、壇上にいる上官から賞状とバッチを貰い受ける。
 その最後列にいたタクマは、自分のバッチを貰うと同時にそう叫ぶ。たった14人の生徒の為に多くの教官、司令官、上官が集まって彼らを祝福していた。
 そんな姿を傍から見ていたのはレンだ。彼は一人、14人の列からはみ出している。それもそのはず、彼は只一人、7,5期の卒業生だからだ。

「続きまして、本日よりレベル3になった皆様を指導してくださる教官をご紹介致します」
「ちょっと待てっ! 俺は何のためにここに呼ばれたんだ?」
 レンが司会進行役の女生徒に思わず突っ込みを入れたが、この広い講堂。マイクなしの彼の言葉は周囲のざっとに押し殺されてしまう。
 次々と教官となる者達の名前とその人物が担当する生徒の名前が挙げられていく。
「以上、13名の担当教官をご紹介致しました」
「「ちょっと待てっ!」」
 いくらなんでもこの扱いはひどすぎだ。レンだけでなく、正規にレベル3に昇格したタクマまでが担当教官を挙げられない始末。
 二人が猛アピールすると、ようやくそれに気付いた司会進行役が名前を挙げる。
「ええと……失礼しました。タクマさん、それから……」
「名前も知らないのかよっ」
 もうどうでもいいよ。と半ば投げやりになったレンは椅子に着席する。自分たちを祝う会のはずなのに、こんな扱いはあんまりじゃないか。そう思ったレンがふてくされていると「あれ……何かのミスですかね。担当教官の名前が書かれていませんが」司会の女性のも困り果てていた。

 その時だった。いきなり講堂の扉が開く。かなり荒っぽく開けられた扉が壁に叩き付けられ、その音が講堂中に響き渡った。
「あー、悪い。遅れたっ」
 そう言った人物はたいして悪びれる様子もなく、講堂のど真ん中を祭壇まで闊歩してきたのだ。大勢の注目を浴びる中、レンとタクマの間を通るその人物は、二人の横を通りすぎるなり首根っこ掴みあげる。
「痛てぇっ」
 喚くレンとタクマを無理やり祭壇まで引きずりあげようとするその人物は、他でもないミサオだった。

 他の13名の生徒だけでなく、その場にいた上官たちも彼女の行動に唖然としている。
「ミ、ミサ姉さん。これはなんのマネっすか?」
「ばかやろう。わざわざこの私がお前らの為に出張って来てやったんだろうがっ! 面倒掛けんじゃねぇよ」
 彼らのやり取りを見つめる教官たちには彼女を咎めることなどできなかった。なぜなら、今この講堂にいる50名以上の誰よりも彼女は強く、そして貴重な人物である。

 レベル5。たった6名しかいない最強のスパイダー乗り。それがパール・バーティーこと、有禅ミサオなのだ。

 だが、その場に集まる13名の生徒達は違った。
「ミ、ミサオさんだ。ファンなんです。サインしてください」
「カッコいいっ!結婚してください」
 男子生徒だけでなく、女生徒までが彼女に黄色い声援を投げかける。
「なんだぁ? 結構私ってモテるんじゃねぇかっ」
「いや、レベル5で有名だからですよ。ミサオさんの本性知ったら誰も近寄りませんって」
 思わずそう言ってしまったレンの首が強く閉められる。
「あうっ……嘘。みんなミサオさんのことが大好きなんですよっ」
 その一言で彼女の手から解放されたレンは首を必死に抑える。
このゴリラ女、なんて握力してるんだ。本気で頸椎損傷させられるところだったぞ。
レンは真剣な表情で彼女を見ると、その手にはいつの間にかマイクが握られていた。

「あー。ここにいるレンとタクマの両名を担当することになった有禅ミサオだ。成績最下位だったこいつらを誰よりも強くしてやる」
「え……成績最下位……?」
 いつの間にか壇上に登らされていたレンとタクマは、ミサオを挟んで思わず顔を見合わせた。
「もしかして……俺らって不合格なのにここにいるわけ?」
「不合格ではない。成績が悪いだけで、立派なレベル3適合者だ。っても、私の独断で決めたことだが」
 要するに、彼女の力で合格にしてもらった裏口合格というやつか。レンは実力が認められたと勘違いしていた自分に情けなくなる。
「いいか。お前達、私の訓練は厳しいぞ! 泣き言なんて一つも聞かないからなっ」
 ミサオは2人に向かってにやりと笑みを向ける。なぜか彼女のそんな姿が、可愛く思えたことは内緒にしておこう。とレンは密かに思った。

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