1章7話

 激しい風にスカートがめくれあがりそうになるのを必死で押さえるハルカの隣に立ったレンは目の前にある緑のスパイダーに目を奪われていた。
 訓練生として仮想世界でスパイダーに乗るレンだが、実際に本物の機体を間近で見たのは初めてだった。それもレベル5の名機、パールバティーなのだ。スパイダー乗りならず、男なら誰でも胸が熱くなる。
 
 パールバティーは頑丈な装甲とパワーが自慢の接近格闘向けの機体である。スピードは僅かに劣るがそれでも訓練生の機体と比べると性能が段違いである。
「きゃあっ」とハルカが小さな悲鳴を上げるとスカートの裾が一気にめくれ上がった。レンもタクマもそちらに目を奪われているうちに目の前にあった緑の塊が姿を消す。
 レンが頭上を見上げると、すでにはるか上空を旋回するパールバティーの姿が見えた。
「すげぇ、すげぇ、すげぇよ……」
 タクマが何度もそう連呼したが、レンも言葉に出さなかったが同じ気持ちだった。これが本物のスパイダー……

 ミサオはひとしきり自分の機体の性能を見せつけるとレン達の元へと戻って来た。
 着陸した機体がゆっくりと体を上下に揺らすと、コックピット部分を地面に近づけて静止する。そこから姿を見せた彼女は悪戯な表情でこちらを見下ろしてきた。
「どうだ? すごいだろう。これが実践配備された本物の戦闘機だっ」
「くぅーっ。マジ感激しました」
 タクマが全身で感動を伝えると、彼女は笑ながらレンに顔を向ける。
「どうだ、お前。この機体を転がしてみないか?」
「は? いや、それって思いっきり規則違反じゃないですか……」
 レベル2までの訓練生は実機に乗ることを規則で禁止されている。そんなことはレベル5の彼女なら当然知っているだろう。
「そんな固いこと言うなよ。知ってると思うが、スパイダーは搭乗者と神経レベルで接続する。その人間の運動能力に影響するんだ。今私がこのパールバティーに乗ると、最大で93%まで性能を発揮させることができる。だが、お前の反射神経ならこいつの性能を100%まで引き出すことができるかもと、期待してんだよ……」
「ミサ姉さん、さすがにお目が高い。こいつはね、訓練生用の機体ならどんな乗り物でも100%の性能を引き出した100%ヤローなんですよ」
「なんだよ……100%ヤローって……」
 レンを褒めちぎるタクマに謙遜した彼にミサオはますます悪乗りし始めた。
「よし、じゃあやってみろっ! 機体を動かすのは規則違反だが、運転席に座るまでなら問題あるまい?」
 彼女にそこまで言われても躊躇するレンにシビレを切らしたミサオが機体から飛び降りると、強引に彼の腕を引っ張った。

 そうやって無理やり登場席に座らされたレンだったが、本物のコックピットに触れるとさすがに胸が高鳴る。
「さぁ、アクセスしてみろ。私の機体だからって噛みついたりしないぞ?」
 ミサオはそう言うとシートに格納されたケーブルを引っ張りだし、レンに手渡す。それを受け取った彼はそのケーブルのコネクターを自分の頸椎に突き刺した。
「システムログイン。コード……≪パールバティー≫」
 レンがつぶやくと、コックピットが一気に明るくなる。さまざまな電気系統が順番に点滅していくのをレンは黙って見つめる。
 ゆっくりと「STAND BY」が点灯するのを確認したミサオがレンの右肩辺りに顔を置く。
「さぁて、訓練生。お前の実力はいかほどか……」
 彼女の言葉に耳を傾けながら、ゆっくりと上昇を始めたディスプレイしたの数値に目を向ける。その数値の上には青色のゲージが数値に合わせて伸びている。
 30%という表示が出るまでは時間がかかったが、その後すぐに数値が跳ね上がった。
「おいおい……嘘だろっ」
 そこに表示された数値を見たミサオが驚いたのであろう。思わず真顔で答えるのを聴いたレンはしてやったりという顔を浮かべた。
「この野郎。調子に乗りやがってぇ。性能が引き出せても実力はまた別の話だぞっ」
 ミサオがそう言ったが、苦し紛れの言い訳にしか聞こえない。
 それもそのはず、ディスプレイに表示されたのは100%の文字だったのだ。青かったゲージが赤色に変わっている。それは測定不能を意味し、その機体の100%以上の性能を出せるという証なのだ。しかもそれが最高性能のレベル5なのだから、レンが浮かれるのも無理もない。
 状況のわからないタクマとハルカがこちらに反応を伺ってきた。レンは思わずブイサインを送ると、よほど悔しかったのだろう。すぐさまミサオが彼の後頭部を殴りつけた。

「しかし……夢のような一日だったな」
 訓練学校の宿舎に戻って来たレンは今日一日のことを振り返って余韻に浸っていた。
「ああまったくだ……俺達みたいな訓練生が、レベル5の人とあんなに長い間会話できるなんて滅多にないもんな。……ただ、なんか大事なことを忘れてるような……」
「やっべぇ。ユウリの模擬演習観るの忘れてたっ」
 タクマの言葉にレンは思わず叫んだ。
「レ〜ン〜っ!」
 同時に低い声で彼を呼ぶのが聴こえる。その声の主が彼女だと察すると、思わずベッドから飛び上がった。
「上空からバッチリ見てたわよっ! アンタ、私が演技している間に見知らぬ女と楽しそうにどっかに行ったわよねぇ?」
「す、すみませんでしたっ」
 レンは顔を引き攣らせながら何度もユウリに頭を下げた。

 レンがユウリにドヤされている頃。とある会議質では、多くの教官たちが集まっていた。
「では。この14名が今期のレベル3合格者ということでよろしいですか?」
「――ちょっと待ちなっ」
 その場にいた全員がぴっしりとしたスーツに身を包んでいる中、突然軽装で室内にドカドカと入ってきた女の言葉で静まり返る。
「なぁに、ちょっと面白いやつを見つけたんでな――」
 青い短髪の女はそう言うと不敵な笑みを浮かべた。

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