1章6話

 四人は屋台の立ち並ぶ通りを歩いていた。今メインイベントであるスパイダーの模擬演技の真最中だからなのか、人通りはまばらだ。
 屋台の大人たちは、レン達を自分の店に連れて行こうと声を掛けてくるが、ミサオはそれらをいっさい度外視していた。

「なるほど。この間のレベル3昇格試験中に戦場から逃げ出したのはお前のことだったのか……」
「はぁ。すみません……」
 兵士であるミサオからすれば、レンの取った行為は兵士としてはあまりにも未熟、そして無様に映ったことだろう。レンは顔を赤くして俯いた。
「私がもしも……戦場でお前と同じ状態になったら……おまえよりも先に逃げ出していただろうなっ」
「は? ……レベル5のミサオさんが逃げるわけないじゃないですか」
 タクマがそう言って彼女のご機嫌を取ろうとしたが、ミサオの真剣な表情に押し黙る。
「私だって死ぬのは怖い。戦場に出る者は、死んでも敵を殲滅したものが英雄と評されるが……私はそうは思わない。どんなに無様でも、最後まで生き抜いて無事に帰って来られるものが優秀な兵士であろう」
 彼女は驚くべき言葉を言い放つと振り返って3人を見るような格好になった。突然彼女が立ち止まったので、レン達も歩みを止めることになる。
「いいかお前達。もしもお前等が戦場に行くことになったら、見栄や体裁なんて気にするな。どんなに無様に這いつくばっても我武者羅に生き抜けっ。最後まで生にしがみつくんだっ!」
 彼女の熱のこもった演説に、他の3人が同時に頷く。それを見た彼女は満足したのか、「私にそれを教えてくれた英雄が、広場の向こうにいる」と言って白い歯を見せると再び歩き始めた。
 初めて彼女に会った時にはとっつきにくい怖いお姉さんという印象だったが、その笑顔は年相応の女性の姿に映った。

 屋台の通りを抜けると、小さな広場がある。そこに大きなディスプレイと人だかりができていた。
そして、その人だかりの先には人がすっぽり収まるカプセルタイプの装置が二台置いてあるのが見える。

 レンはそれが何かよく知っていた。スパイダー訓練で使用する仮想世界へ人間の精神だけを送る装置。通常、スパイダーが全力で駆動するには広大な土地が必要になる。仮想世界でなら、好きなだけ訓練することができるのだ。しかし、そんな訓練生用の装置がいったいなぜこんな場所に。

 この集りの司会進行役を務める女性の軽やかな声が響き渡る。
「さぁ、こちらにいらっしゃいますのが、かの有名なレベル五の不知羽リオン様。最強のスパイダー乗りとピストルゲームに挑戦したい方はいらっしゃいませんか? 現在、なんと怒涛の三十二連勝中っ」
 不知羽リオン。スパイダー乗りなら知らぬ者はいない最強の兵士。そして、ハルカの兄でもある。レンも情報としては知っているが、どんな人物なのかは知らない。

 その集まりの中心には一人の男の姿が見えた。白髪の華奢な男は、もう少し髪が長ければ、女性にも見えたかもしれない。背丈もレンよりも小柄なようだ。
 それがハルカの兄であり、最強の男、不知羽リオンだった。ミサオからして、レベル五というものはもっと鍛え抜かれた体をしているのだろうと想像していたレンは、少しばかり驚いていた。

「久しぶりだな、リオン」
 ミサオが手をあげながら群衆の中へと入って行く。司会の女性は、さりげなくミサオの紹介をし出した。
「なにやってんだ。お前達も早く来い」
 ミサオがレン達に合図を出してくる。
「誰? あの子たち。訓練生かしら……」
それに合わせて群衆の視線がこちらに集まってきた。レンは愛想笑いで彼らに答えると、ミサオ達の所まで歩き始める。

「ご無沙汰しております。お兄様」
「ハルカ。士官訓練は順調なのか?」
「はい。今度の三十二階層討伐任務にて、副司令官を任される予定ですわ」
 何やら二人の会話がえらくぎこちないものに聞こえる。これが本当の兄妹の会話なのだろうか。レンがハルカとリオンの会話を聴いていると、ミサオが背中を押してきた。
「どうだ。せっかくだし、お前もリオンに挑戦していったらいいんじゃないか?」
「はぁ。でも俺、射撃は苦手で……」
「問題ないさ。一般人用に改良されているから、簡単に当てられる」
 ミサオがそう言うと、集まった群衆の「やれっ」という声が湧き上がる。
「じゃあ、そう言うことなら……リオンさん。はじめまして、レンです。お相手、願えますか?」
 レンがそう言うと、リオンは黙ってうなずいた。口数の少ない男なのだろうか。彼は黙ったままカプセルの中へと収まっていく。

「レン。これは反射神経を競う競技らしいぜっ! 見せてやれよっ。お前の訓練学校入隊時、史上最高の反射神経を持つ男と言われた実力をっ」
「おい。タクマ、お前っ。恥ずかしい尾ひれつけてんじゃねぇよ! 同期で言われているだけの誇張表現で本物の英雄に張り合ってんじゃねぇっ」
 レンは顔を真っ赤にしてタクマを睨んだ。しかし、周りの群衆を盛り上げるには十分な言葉だったようだ。
「兄ちゃんいったれっ! 最高の反射神経を見せてやれっ」
 おいおい、勘弁してくれよ……。レンはそうつぶやくと耳まで赤くして、カプセルの中へと入って行った。

 レンは中に入ると、備え付けの座席に座り込む。自身の右側の壁からコードを引き抜くと、自分の首の後ろに差し込んだ。
 訓練学校に通っている者なら、誰もがこのコードを接続する端子を移植されている。その端子は首の後ろの頸椎に埋め込まれているのだ。この頸椎には人体で最も神経通った場所でもある。コードを差すだけでそれら神経に直接接続することができるのだ。
この原理はスパイダーにも当てはまる。神経レベルで接続されたスパイダーは自分の手足のように自在に操ることができるのだ。

レンの視界が一瞬で真っ暗になると、次の瞬間、一気に世界が広がった。
 これが仮想世界である。どうやら、ここはどこかの部屋らしい。通常の訓練ではこのまま仮想空間が用意したスパイダーに乗り込むわけだが、今日は銃を使ったお遊びだ。気づくと、右手に一丁のハンドガンが握られていた。

「準備はいいかな」
 少し離れたところで、同じ様な格好をしているリオンの姿が見えた。彼の頭上にはゼロという数字が浮かび上がっている。気づくとそれは自分の頭上にもあった。
「頭に表示されている数字が、現在獲得したポイントになります。敵を一体撃破することに百ポイントが加算されます。制限時間は三分間です。……じゃあ、始めてもよろしいですかね」
 司会の女性の声が脳裏に響いてきた。レンとリオンが同時に頷くと、二人の間に壁が出現する。これでリオンの姿は見えなくなった。おそらく、互いの銃弾が当たることの無いように配慮されたものなのだろう。
そして、目の前に三分間を秒で表す百八十の文字が表示される。

「では、スタートって、アレ? ミサオさん、何しているんですかぁ?」
 女性の声がどんどんとフェードアウトしていく。ミサオが何をしているのか不明だったが、目の前の秒針がゆっくりとカウントダウンを始めるのを確認したレンは、全神経を集中させた。

 背後に気配を感じると、体を跳ね上げて後ろを振り向く。それと同時に右手は弧を描くようにして出現した丸い的へと向けた。その手先に握られたハンドガンのトリガーを思いっきり引く。

 レンの放った弾丸は見事に的のど真ん中をくりぬくと、小さな爆発と共に砕け散った。
「やればできるもんだな。思った以上に簡単そうだっ」
 レンが楽観視するには、余りにも早すぎた。次の瞬間画面状に真っ赤な文字で『LEVEL300』という文字が浮かび上がったのだ。
「なっ」
 レンハ驚いて動きを止めると、脳裏にまた声が響いてくる。ただし、今度は司会の女性ではなく、ミサオの声だった。
「おいお前ら、一般人のお遊びレベルじゃ物足りねぇだろ? だからレベルを上げてやったぜ。……小僧。全力でやらねぇとまじで死ぬぞ」

 死ぬ? ここは仮想空間。どんなに神経レベルで繋がっていたとしても、死ぬことはないはずだが……。
 
 そして次の瞬間。レンの正面に次の的が出現した。

――ド正面かよ、楽勝だなっ!
 レンはすぐさま銃口を向けると、弾丸を撃ち放つ。しかし、驚いたことにレンの放った弾丸は至近距離にあった的を撃ち抜くことはなかった。
 黒い球体である的は、下に移動して弾丸を躱すと、床を弾んでレンの腹部に突撃してきたのである。それも弾丸以上の速さで……
「うげぇっ」
 レンは腹部を押さえると、悶え苦しんだ。これが生身の肉体であれば、今の一撃でレンの体に風穴があいていたであろう。しかし、神経レベルで直結したこの肉体は、破壊されることはないが、痛みだけはダイレクトに伝わる。

 レンは歯を食いしばって何とか立っていたが、彼の周りを通過する的を目で追うことすらも出来ない。よく目を凝らせば、何か黒いものが彼の周りを右往左往していることくらいは分かるのだが。
「小僧、これが戦場だ。お前は反射神経が得意なのだそうだな……常に無数の弾丸が行きかう中、それらを撃ち抜くことができるか?」
 冗談じゃない。これを躱すなんて無茶苦茶だ。ミサオもリオンさんだって、こんなの躱せるはずがない……
 目で追えぬほどの速度に達した的は、もはや高速で移動する鉄球だ。その数もどんどん増えていく。

「眼だけで追うんじゃない。感覚を掴めっ! そして得意の反射神経で捉えるんだ……出来なきゃお前、死ぬぞ」
 死――先程ミサオに言われた言葉を思い出す。どんなに無様になっても生き抜いた方が勝ちだといった内容の言葉だったか。だったら、今はかっこ悪くても逃げるべきなのでは……

 そう、レンが諦めかけた時だった。突然、彼の身体が弾き飛ぶ。
 思わず後ろに仰け反りそうになったのを、彼は踏みとどまる。そうしなければ、彼は痛い思いをする必要もなかったのだが……
 レンの右頬が赤く腫れあがっていた。高速で移動する鉄球の一つが彼の右頬に激突したのだ。痛みで頬がまだジンジンしている。
 その一撃で、彼の思考は停止していた。このまま立っていてはダメだということは分かるのだが、体がいうことをきかない。
 続いて、彼の右手に強い衝撃を感じる。すぐさま、彼が手にしていたハンドガンが床を滑り転がった。
「う、うわああああっ」
 レンは叫び声をあげると両腕を自分の顔の横に持ってくる。もはや自分の身を守ることしかできないのだ。さらに追い打ちをかけるように両脇腹に衝撃を受けると、彼の両腕が下がる。
 そして……彼の両腕に三つずつ、計六個の的がめり込んだ。
「ぐぁっ」
 ついに彼の両腕がだらりと垂れさがると、無防備な顔がさらけ出される。次の的が、彼の顔面をトドメと言わんばかりに狙っていた。
「レンっ! 意識を保てっ」
 意識を保て? ふざけんなっ! アンタが俺を殺そうとしてるんだろう……
 レンは薄れゆく意識の中、ミサオに向けて吐き捨てるような言葉を思い浮かべる。眼前に飛び込んでくる鉄球が目に入ってきた。
 クソっ。こんなところで、死ぬのかな……俺。悔しいな……せめて一回くらいは躱して見せたかったんだけどな……

 死を予見した彼の感覚は最大まで研ぎ澄まされていた。
 的の姿は確認できない……だが、風を切り割く様な感覚だけは感じていた。
「來る……今、俺の顔面を真正面からブチ抜くコースで、的が……」
 レンの耳元にゴオッという風を切り割く音が響いた。その刹那、彼の視界は床を向いている。どうやら、床に向かって倒れかかっているようだ……そして、視界には先程落としてしまったハンドガンが見えた。

 レンは我に返ると無造作に手を伸ばし、ハンドガンを握りあげる。そして無我夢中で銃口を背中に向けると、トリガーを引いた。
 小気味よい炸裂音と硝煙が彼の身体を包む。レンは高速で飛び込んで来た的を間一髪のところで躱したのだ。おまけにすれ違いざまに的を撃ち抜くという荒業を熟してみせた。

 すぐさまレンは後ろを振り向くと前に突っ込む。そして何もない空間に向かってハンドガンを撃ち放った。そしてまた目の前で炸裂音がする。
 あ、当たった? そこに的が來るような感覚がしただけだったのに……
 レンは背中に嫌な感覚がすると再び後ろを振り返った。そして左手で前の空間を押し払うように伸ばす。さらに右手を別の方角に向けて、トリガーを引いた。

 左手の激痛と共に、彼に向かって直進してきた的が方向を逸らす。さらに右手で放った銃弾は別の的を撃ち抜いていた。
「うおおおおっ」
 彼は我武者羅だった。ただひたすら自分の感覚だけを頼りに、一秒でも早くそこに向けて手を伸ばし、そして銃弾を放った。それが面白いようにすべての的に当たるのだ。
 しかしどれもきわどいもので、一つ間違えれば自分に激突しそうな程、至近距離まで接近したものしか撃ち払えなかった。
 気が付くと、頭上のカウントダウンがゼロを示していた。それはタイムアップを意味している。硝煙の焦げたような臭いだけが鼻先に残っていた。

 なんとか生き抜いた。しかし彼の頬は赤く腫れあがり、変形している。
「お疲れさん。小僧、やればできるじゃないか」
「何がお疲れさん……ですか。こっちは死ぬとこだったんスよ」
「悪い、悪い。最高の反射神経って聞いてたからなぁ」
 反射神経だけじゃどうにもならないと言ったのはアンタだろっ! レンは、脳に直接響いてくるミサオの言葉に心の中で呟いた。
 だが、彼も勘違いしていた。この弾丸のような速度で移動する的を撃ち抜けるような人間はいないと鷹をくくっていた彼の前に、驚愕の姿が出現する。

 彼の前にあった壁がゆっくりと色味を失い、壁の向こう側が透けて見えたのだ。全スパイダーの憧れ、英雄の姿がそこにはあった。
 白髪の英雄の頭上には飛んでもない桁の数字と、『PERFECT』の文字が表示されていたのだ。

「嘘……だろっ……」
 しばし、口を開けて呆然とそれを見つめていたレンに、彼の方から近づいて来ると、あの高速の的を全部撃ち抜いたその手は真っ直ぐにこちらに向けて伸びていた。
「お前、訓練生にしてはなかなかやるな……」
 恐る恐る伸ばしたレンの手をしっかりと握った英雄は、ゆっくりと姿を消した。
 
 レンは彼の姿が見えなくなった後も、一人その空間を見つめたままでいた。
「これがレベル五……か」
 仮想空間から抜け出したレンはしばし放心状態となっていた。彼を心配したハルカが自分の顔を覗き込んでいるのが見える。
「お前のアニキ……すげぇな。さすがだわ……」
 レンの言葉にハルカは自分が誉められた時よりも嬉しそうに目を細めた。そんな彼女の隣には、先程握手を交わした英雄の姿が見える。
「改めて、不知羽リオンだ」
 彼はそう言うと、再び握手を求めてくる。仮想空間を通していない本物の彼の腕はよく見ると生傷が多く浮き上がっていた。これが本物の軍人の手……レンは生生しい傷口を見つめるとその握手に応じる。

「すまないが、この後イベントに参加しなくてはならないので、ここで失礼するよ」
 リオンはそう言うとレンに手を振って立ち去って行く。自分と大した差のない年齢の英雄の後ろ姿にレンは憧れと哀れみを感じていた。こんな世界でなければ、彼も普通の学園生活を送る学生だったはずだ。それが全人類の希望を一身に背負う宿命を持ってしまった。

「英雄は忙しいみたいだね。……まぁなんだ。これからレベル5の模擬演習があるみたいだしな」
 そう言ったミサオにタクマが「いやいや。アンタもレベル5だろ?」とつっこみを入れる。
「模擬演習の方はあいつ一人で十分ならしい……そうだ、お前らもこの後暇なら、私の愛機、パールバティーを見せてやろうか?」
「まじっすか? レベル5の機体を生で見れるなんてまじ、感激っス」
 タクマがそう言ってガッツポーズする。この男は誰とでもすぐに打ち解けられるらしい。レンはそんな彼の行動に苦笑した。

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