1章5話

 地下八十階層はイベント用のフロアとなっており、通常の5倍以上の高さが用意されている。
 それでも高度600メートル程度しかない為、スパイダーで急上昇させすぎてしまうと、たちまち無機質な天井の壁にぶち当たってしまう。
 レン達は地上がどんな場所か覚えているが、今日ここに集まる子供たちの多くは地下で生まれたセカンドチルドレン達だ。

 どこまでも広がる空。その蒼さや澄んだ心地よい空気といった地上の世界を知らない子供達。
 この地下世界がすべてだと思っている彼らには巨大スクリーンに投影された過去の映像も遠い異世界のファンタジーのように見えているのかもしれない。

 映し出された映像はどこかの山で撮影された物らしく、木々の向こうから鳥のさえずりが聞こえてくる、鳥、それは地下世界には存在しない生物。今となっては見ることもできないのだ。
 レンは映像に映し出された空を飛ぶ生き物に興味津々の子供達を眺めながら、地上の記憶を呼び覚ましていた。
 今地上波どうなってしまっているのだろう。地上を闊歩するあのサクラロイド達によって、あの美しかった自然が壊滅させられてしまっているかもしれない。そう思うとやるせなくなったレンはポケットの中に手を突っ込むと小さく拳を握りしめた。

 そしてもう1つ。地下世界では絶対に観られない物が映し出される。煌々と世界を照らし出す丸い球体。そう、太陽だ。この地下世界にも、各階層に太陽を模した球体が浮かんでいるのだが、それはあまりに機能的で、そして冷たい。
 ある子供たちはその球体を指さすと、「あれはどうやって光を出しているの? 」そう叫んだ。舞台上に立つレン達と同じ訓練生である少女が、そう尋ねた青色のオーバーオールの子を見つめながら少し悩んだ素振りを見せると、
「あれは地上のさらに上、宇宙にある太陽というものです。私達が今いる地球の何千倍も大きいんですよ。そして常に燃えているのです。その光が遠く離れた私たちの地球に届いているのです」
 そう言って説明する。
 少年は半分も理解できなかったのだろう。あいまいに頷くと、食い入るようにスクリーンに視線を戻してしまう。レンはそんな少年の行動を興味深く凝視していると、隣からヒソヒソと噂話しているのが聴こえてきた。

 それは子供たちの声ではない。レン達と同じ訓練生のものだった。
 子供達ですら静かに話を聴いているというのに。こいつらは何をやっているのだとレンは少しばかりむっとすると、そちらを睨み付けてやった。

 茶髪の訓練生三人がこちらを見ながら何か話しているようだ。レンの隣には同級生のタクマとハルカが椅子に座っている。タクマは明らかに不機嫌な表情で、しきりに貧乏ゆすりをしながら腕組みをしていた。そしてハルカは只でさえ小さな体を縮こまらせながら下を向いている。
 一見してなにかあったなと悟ったレンは小声で隣に座るタクマに尋ねた。
「タクマ、どうしたんだ」
「どうもこうもあるかよ。後ろに、茶髪の三人組がいるだろ? あいつらがハルカちゃんの悪口を言ってやがんだよっ!」
 タクマからそう聞くと、レンは後ろにいた茶髪達の会話に耳を傾けた。彼らの会話はとぎれとぎれにしか聞こえないが、かろうじて『不知羽』と『十二家』や『上級氏族』という単語が耳に入ってきた。

 なるほど。確かにあの男たちはハルカのことを話しているようだ。このグラウンド・エデンを管理する権利を持つ十二人の上級氏族。そのうちの一つである不知羽家の一人娘であるハルカ。十二家のなかでは一番新しい一族なのだが、それでもこのグラウンド・エデンにおいては最高の権力を持っていることは間違えない。大方、ハルカが司官候補生だということをひがんでいるのだろう。

「放っておけよ。あいつら、ハルカが実力で司令官候補生になったことも知らないで、ひがんでいやがんだ。ああ言う奴らは自分の努力が足りないことを棚に上げて、優れた奴の足を引っ張るんだよ」
「そうそう。同じ落ちこぼれでも、俺達みたいに底辺同士で仲良く馬鹿やってる分には良いが、ああいう他人を馬鹿にする奴は気に入らねぇ」
「おーい、待てっ! それは俺も入ってやがんのかよぉっ」
 レンとタクマのやり取りが可笑しかったのか、ハルカがクスクス笑い出す。とりあえず、何の励ましにもなっていないが、少しは役に立ったのかもしれない。

 広場一帯には、そんな空気を切り裂くように轟音が鳴り響く。どうやら、お待ちかねのスパイダー模擬演技が始まったようだ。
 子供達は一斉に興奮し、歓声を上げた。レンにとっても実際のスパイダーを観たのは数えるほどしかない。いつか、自分もあれに乗り、子供たちのヒーローになってみたいと憧れていたのだが、自分と同学年のユウリがあれに乗っているのかと思うと、複雑な心境だった。

「なるほど。良い筋しているな、あの機体。あれが今年のルーキー。『アマテラス』かい」
 突然背後から発せられた声にレンは驚いて体を跳ね上げた。いつのまに現れたのか、ミサオの姿がある。そして少し離れたところで小さくなっている茶髪の男達がいた。

 ミサオに何か言われたのかもしれないな。
 レンはそんなことを思ったが、それはもうどうでもいい。むしろ、ミサオの言葉の方が気にかかった。
「アマテラス? ユウリの……あの白い機体のコードネームですか」
「ああ。そーかい。あれはお前の同期か」
「同級生ですね。あいつ、もう自分専用の機体を持ってるのかよっ」
「アマテラスは遠距離先頭タイプの機体だな。高いスピードと超距離拡散ミサイルを使った遠距離砲撃を得意としている。まぁホーミング機能があるにせよ、並みの空間把握能力者じゃあ、あれは使いこなせないな」
「ユウリは、その空間把握能力が高いってことですか……」 
 人に得手不得手がある。スパイダーはその操縦者に最も適した機体が与えられるのだ。

 ユウリの乗ったアマテラスは空中に舞い上がると弧を描くようにゆっくり旋回し始めた。子供たちの視線がそれに合わせて小刻みに揺れている。どの子も澄んだ瞳を輝かせ、その英雄の如き白い機体に憧れを抱いているのだ。
「俺も早くスパイダーに乗りたいな……」
 嫉妬心からレンは思わず小さな声でそんな言葉を漏らす。それミサオは聞き逃さなかった。
「ふん。まぁ訓練生なら、誰もが抱く感情だわな。ただ、これだけは覚えておけよ。あれに乗ったらもう一端の兵士だ。こういった見世物だけじゃあない、戦場にも行かなければならないことをなっ! あんまり若いうちにスパイダー乗りになるもんじゃない。未熟な精神で戦場に出れば、すぐに死ぬことになるぞ。そういった奴を何人も見てきた……」
 最高ランクのレベル五であるミサオの言葉には重みを感じる。彼女は今まで戦場の最前線でいくつもの修羅場を潜ってきたのであろう。

「スパイダーを与えられた兵士はこのグラウンド・エデンの全ての人の為に命を使わなければならない。一度戦場に出れば、誰もが平等に死に直結しているんだ。一瞬の判断ミスで、人は簡単に死ぬ……」
 『死』。その言葉の意味を理解しているが、その重みはグラウンド・エデンで訓練しているだけのレンと戦場に向かっているユウリやミサオのような兵士とでは全然違う。
「戦場で倒れ、命からがら帰還した兵士を悪くいう人間もいるが、たとえ二度とスパイダーに乗れない体になったとしても、命があれば私は良いと思っている。華々しく散ったと聞けば聞こえはいいが、私は何が何でも生き残りたい。それがどんな無様な格好になってもな……」
 このグランド・エデンにいるスパイダー乗りの頂点であるミサオは悲観的な表情で上空を飛び回る白い機体を見つめていた。彼女がこれまで無事に任務を熟してきたのは、そういった死にたくないという感情で闘ってきたからなのだろうか。
 どんなに簡単な任務であっても、全力で迎え撃つ。実力も他を圧倒しているのだろうが、彼女が少しばかり死の確率が低いのはそう言ったメンタル面も関係しているのかもしれない。
 彼女の瞳は、上空を舞うあの機体に向けられた多くの視線とは違い、輝いてなどはいなかった。
「三人とも覚えておけ。グラウンド・エデンの上層部は、私達の命など軽く思っている。あいつらはサクラロイド達よりも冷たい心の持ち主だ」
「私が、私がそれを変えて見せます。私が司令官になったら、貴方たちの命を軽んじたりなどはしませんっ」
 ハルカが強い口調でミサオに応える。小柄な彼女は、相手の肩程にある小さな頭を上げると、真っ直ぐな瞳でレベル五を見つめた。その瞳はここにいる多くの澄んだ瞳と同じ目をしていた。

「不知羽ハルカ。忘れるなよ、グラウンド・エデンの闇はお前の親を含めた十二の幹部より成り立っていることを……」
 ミサオは輝きを失った瞳でハルカを見下ろすと、回れ右してこちらに背中を向けた。
「まぁ、辛気臭い話をしていても仕方がない。どの道お前らもいつかはスパイダー乗りになるんだ。……ついてきなっ! 現段階で最強のスパイダー乗りに会わせてやるよ。お前達も死にたくなければ、あいつくらいの実力を身に付けることだな」
 ミサオはそう言うと歩き始めてしまう。レンとタクマは互いに顔を見合わせた。上空にいる同級生の活躍をこの目に焼き付けていたかったが、仕方がない。レンは頷くとミサオの後について歩き始めた。
 その背後を優美に飛び回る白い機体から吐き出された飛行機雲で『GROUND EDEN』という文字が浮かび上がっていた。

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