1章3話

 昼食を終えたレンとタクマはまだグランドエデンの学生寮にいた。
 午後からユウリが参加するセカンドチルドレンのイベントを見学しに行く予定だったのだが、タクマが部屋に忘れ物をしたというので取りに戻ったのだった。
「やべぇぞ。送迎バスの出発時刻を過ぎちまった」
 冷や汗を流すレンを尻目にタクマはのんびりとした声で告げる。
「もう仕方ねぇ。今日は不参加の方向で行くしかないだろう」
 タクマがベッドに腰を下ろすとだるそうに体を伸ばす。
「そんなことやったらユウリにドヤされちまう。それにいいのかよ? お前、子供たちに会うの、楽しみにしてただろ」
 レンがそう言ったが、もう間に合わないのだからどうしようもないとタクマはベッドに完全に横たわってしまう。

 会場の八十階層へは超高速エレベーターに行かなければならない。ここから、そこまでは巡回バスがあったはずだ。そっと携帯で、巡回バスの時刻を調べ始めたレン。
 眠りに陥る手前のタクマを無理やり引き起こすと、レンはタクマの巨体を引っ張って部屋から連れ出した。

「あと五分で巡回バスが來る。走れば間に合うぞ」
「お前……そんなにユウリの演技が大切なのかよ?」
「馬鹿言えっ! お前はあいつの怖さを分かってねぇんだよ。俺達が来ていないことがバレたらどんな目にあうか……」
 仕方がないといった表情で、走り出したレンの後から付いていくタクマ。
「俺らじゃなくて、俺。だろうがっ」
 二人は部屋の前の長い廊下を全力疾走し始めた。

「ちょっと待てよ。レンっ! お前早すぎるんだよ」
「お前が遅すぎだ。ちっとはトレーニングぐらいしておけよ」
 息を切らしながらモタモタと追いかけてくるタクマを尻目に、全面ガラス張りの渡り廊下から外を眺めたレンは、これは五分じゃ間に合わないなと諦めかけていたその時だった。

「あれ? 二人ともまだイベント会場に向かってなかったんですか」
 そう声を掛けてきた小さな少女の姿が目に留まる。相変わらず胸のバッチが輝いているその少女がハルカだと認識すると、二人は彼女を取り囲むようにしてすがった。
「天使様。どうか俺達をイベント会場まで連れて行ってくださいっ」
 レンに手を掴まれ僅かに頬を赤らめたハルカは、目を丸くして二人の少年たちを交互に見渡す。
「乗り遅れちゃったんですか? 大丈夫ですよ。これから私も向かうところだったんですから」
 さすがは司官候補生。他の生徒達とは待遇が違うようだ。レンとタクマは互いに顔を見合わせると、頷き合った。
「ぜひ、お供させてくださいっ」
「あの……同行するのは構わないんですが……。その、初めての人にはきついかもしれませんよ?」
 彼女が何を言いたいのか分からなかったが、きつかろうがどうでもいい。会場に着けさえすればそれでいいのだ。大方、身分の違いを見せつけてくる性悪司官候補生たちに白い目で見られるくらいのものだろうと、レンは軽い気持ちで同意した。

「分かりました。では、私の後を付いてきてくださいね」
 そう言うと先頭を歩き始めたハルカの後に二人は付いていった。

 エントランスを抜けると、一台の車が横付けされているのが目に留まる。
 お嬢様の乗る車=高級車という認識だったレンだが、そこにはボロボロのSUVが置いてあったのだ。それも屋根の無いオープンカー仕様。
 その乗用車の前で、煙草を吹かしている青い短髪の女性の姿が目に留まる。年はレン達よりも一回り以上は上であろうその女性は、露出の多いYシャツを身に付けている。ふくよかな胸の谷間は興味をそそられたが、それ以上に露出している鍛え抜かれた両腕と、そこに描かれたタトゥーを見たレンは、この女性に関わってはならないと脳内中に危険信号を発信させていた。
「やばい、絶対に目を合わせるなっ」
 隣にいたタクマにそう小声で語りかけたが、彼はすでに視線を別の方向に逸らすことで、その女性の存在をなかったことにしているようだ。

 恐らく、この先におハルカが乗るはずの高級車両が待機しているのだろう。堂々とエントランスのど真ん中を陣取っているこの女性を何とかやり過ごさなければ、そこにたどり着くことはできない。
 レンとタクマは互いに視線を下に向けると、そのままゆっくりとした動作でハルカの後について行った。
「お待たせしました」
 不意にハルカが口を開くと、レンは驚いて顔をあげた。彼女の後ろ髪越しに見えたのは、鋭い目つきでこちらを睨んでいるガラの悪い女性の姿。
「ハルカ。なんだぁ、このクソガキどもは」
「えっと……友達のレンくんとタクマくんです……」
 目つきの悪い女性は、レンの体をまじまじと品定めするように見ると
「悪い虫じゃねぇだろうな。まぁ、そんな根性もなさそうだが……」
 根性は関係ないだろうと睨み返してやりたかったが、それをすればイベント会場まで連れて行ってもらえるか怪しい。そもそも、ハルカとこのガラの悪い女はどういった関係なのだろうか。レンが黙っていると、ハルカが彼らに紹介してくれた。
「この人は有禅ミサオさん。レベル五の上級一等兵ですわ」
「ぶっ」
「あ? なにお前等噴き出してやがんだっ」
「いえ……まさかたった六人しかいないレベル五の方だとは思わなかったので」
 レンとタクマは同時に噴き出すと、首を横に振って否定する。自分たちの目指す頂点が、まさかこの人だったとは想像もしていなかったのだ。
「まぁいい。このミサ姉さんが、お前らをイベント会場まで送り届けてやろうじゃないか。その口ぶりじゃあ、お前ら訓練生だろ? どれくらい根性があるか見てやろう」
 なにかにつけて、この人は根性という言葉が好きなようだ。厄介な人物と知り合いになってしまったものだ。レンは苦笑しながら尋ねた。
「えっと、ミサオさん? ちなみにコードネームは……」
「親しみを込めてミサ姉さんと呼べっ! そんなにお前らと年齢も違わないし……」
 どう見ても一回りは上、二十五前後の女性だったが、敢えて年齢は聴かないほうが賢明だろう。そう判断したレンはもう一度彼女のコードネームを尋ねた。

 コードネーム。それは自分専用のスパイダーを与えられた者だけが持つ、作戦上の固有名詞だ。専用のスパイダーには機体の名称がつけられており、それがそのままコードネームとなる。最高レベルのレベル五にはもちろんコードネームがあり、それを聴いただけでどの機体かわかるのだ。そしてコードネームには通常、神話に出てくる神々の名称がつけられるのが一般的である。

「私のコードネームは『パールバティー』だ」
「序列三位じゃないですか」
 序列とはスパイダー乗りの間で強さを順位で表したものである。レベル五という時点で、六位以内であることは確かなのだが、具体的な名称を聴くまで半信半疑だったレンもさすがにあきらめがついた。
 どうやらこの女性は本当にレンが憧れる人物そのものの様だ。『パールバティー』はインドの神様である。たしか彼女の機体は接近格闘戦を得意とし、闘神の異名を持つほどだ。

「まぁ、こんなところに居ても仕方がない。さっさと乗りな。でないと置いていくぞ」
 彼女はそう言って運転席に座ると、エンジンをかけ始めた。レンとタクマも慌てて車に搭乗する。ハルカは助手席、二人は後部座席である。
 三人が席に座るのを確認すると、猛スピードで車は走り始めた。

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