1章2話

 床掃除を終えたレンに、正午を知らせるサイレンが聴こえてきた。
 食堂へと向かう長い廊下。床は動く歩道になっており、その上に足を乗せれば勝手に移動することができる。彼は手すりに体重を乗せると、窓から覗く外の風景をぼんやりと眺めた。

 そこに映っていたのは青空――ではなく、青色のスクリーンに疑似的に映し出された太陽が照らされていた。いつ見ても雲一つない快晴の空。この世界には天気と言う概念がない。
 それもそのはず、ここは地下七十二階層にある巨大なフロアなのである。
 一つのフロアに街一つ分が丸々再現されたこの空間は、軍事訓練学校の為に用意されたものだ。その学校に通うレンは、現在レベル二の訓練生である。

 この学校では一般的な学年と言う概念はない。生徒達は年齢には関係なく、その成績でレベル一からレベル五までの五段階に分けられている。
 また、それとは別に指揮官候補生と言う特待生枠が存在する。これに選ばれた者は、厳しい訓練の代わりに軍事を勉強させられる。生き死に関わらない安全な仕事ということで人気も高く、それ自体が一種のステータスになっていた。

 もちろんレンにはそんなチャンスに恵まれることもなく、一般の訓練生という扱いで入学していた。学年の代わりに存在するレベルであるが、レベル一からレベル二の活動内容は、主に雑務や訓練が殆どで実践に参加する機会はほとんどない。実践に参加できるのはレベル三からである。隊長クラスがレベル四、そして最高レベルのレベル五に至ってはまだたったの六人しか存在しない最強クラスの傭兵である。

 先程から実践だ、訓練だと物騒な話をしているが、彼らがいったい何と戦っているのか……

 今からちょうど六年前、当たり前のように人々の暮らしに人工知能すなわちAIが普及し始めた頃、首都地下移転計画なるものが誕生した。景観として邪魔になる施設、政府機関や発電所といった建造物を丸ごと地下シェルターに押し込んでしまおうというものである。約五年の歳月を経て、それはついに完成した。
 同じく、地下へ移される予定だった施設の一つに、世界最高のスーパーコンピュータ『サクラナナキュ』も含まれていた。

 七十九回目のアップグレードを行った『サクラナナキュウ』は、物理的にこれ以上並列処理を施せないレベルに達した最高の演算処理マシンである。これ以上ハードを増設すれば、最高の冷却装置をもってしても原形をとどめられない程の高温が発生してしまう。
 大量にコンピュータを並列している為、その大きさは巨大な施設丸ごと埋め尽くす大がかりなものとなっている。この建物ごと地下へと移送する手はずであった。
 しかし、人類はまだ気づいていなかった。余りにも高度な演算能力を持ったこのスーパーコンピュータは、人間の知能を超える究極のAIが構築されていたことに。

 感情をも持ち合わせる『サクラナナキュウ』が地下に押し込まれるのを拒んでいたのかは不明だが、大参事は起こった。形成するネットワークを介して、世界中で活動していたロボットが同時に暴動を始めたのだ。
 工場で稼働する生産ロボットから家庭用ロボット、果ては軍事用戦闘アンドロイドまで。AIの搭載された全てのロボットが人間を襲い始める。

 今現在も改良され、生産され続けている軍事用アンドロイドをレン達はサクラロイドと呼んでいる。機械が機械を生産し始めたのである。
 その結果、追い込まれた人類は、『サクラナナキュウ』を格納する予定だった地下へと押し込まれることになった。いやむしろ、地下に降りることが出来た者の方が幸運であっただろう。
 まだ小学生だったレンが最期に見た光景は、原子力爆弾が降り注ぐ、まさにこの世の終わりのような光景だった。幼馴染の少女に手を引かれ、地下シェルターへと連れて行かれた。この場所に逃げ遅れた者の末路はレン達が知る由もない。

 この地下都市『グラウンド・エデン』は、幸運にも生き残ることのできた人口三百万人で形成された小都市なのである。
 そして、ここにいる者は地上にある本物の空を夢見て、いつの日にかもう1度地上を手に入れようと試みている。

 ちなみにレンはこの軍事学校の第三期生である。もっと早く入隊したかったのだが、最初のうちは十六才以上しか認めてもらえなかったのだ。地下に降りて三年目が経ち、レンが十六になる年に入隊を認められる。それから三年が経った。

「レン。どうでもいいけどブツブツ一人でしゃべってると変な人に思われるよ」
「どわあっ。いつからいたんだよ。たまには昔を語りたいときもあるんだよ」
 いつの間にか隣を歩いていた少女に不意を突かれた。
「昔って、私らまだ十七年しか生きてないんですけどね」
 彼女の名前は、愛染ユウリ。レンと同い年、さらに同期で最優秀の彼女はすでにレベル三だ。才媛かつ洗練された容姿も持ち合わせているユウリ。しかも、すでにレベル四の候補に選ばれる程だというのだから、自分と比べるのも虚しくなる。

 部隊隊長となるレベル四の候補生である彼女のあだ名は『愛染隊長』だ。同期では一番仲の良い女友達と言ったところだろう。
 彼女は栗色の長い髪を掻き揚げると、ため息交じりでレンに言った。
「はぁ。レンはいったい何時までレベル二でいるつもり。あんな訓練内容じゃあ、一生レベル二かしら? 」
「好きでレベル二に留まってるわけじゃねぇよ。俺だって早く実践で戦いたいさ」
 レンがそう言い返すと、

「さっきみたいに戦場で逃げられちゃ困るけどね……。あーあ。二年前のスパイダーテストで史上最速の反射神経記録を打ち立てた天才さんは一体いつになったらデビューできるのかしらね」

 スパイダー、それはAIの搭載されていない人間が操縦することのできる二足歩行戦闘マシンである。
 微弱電磁波と生体電気を結びつけることで搭乗したパイロットの脊椎と脳に直接リンクして操縦するこのタイプの機体は、操縦者の反射神経がそのまま戦闘に影響するのだ。
 どうやら入学テストで受けた反射神経を測るテストで、ユウリを上回る驚異的な記録を叩き出したらしい。おかげで入学直後から、同期に奇怪な目を向けられたことを覚えている。そんな中、ユウリだけが分け隔てなく話しかけてきてくれた。まぁ、彼女もレンとはちがう意味で奇中の奇とも呼べる存在だった。

 栗色のロングヘアーに、大きな瞳の少女。とても傭兵とは思えない小柄な体躯だが、ひとたび戦闘モードになれば、スパイダーの超高速をものともせず圧倒的な戦闘能力で優雅に舞う。
 彼女は、同期の中でも一、二を争う華麗な容姿の少女だった。

「よう。お二人さん。相変わらず仲がいいねぇ」
「別にそんなんじゃないわよっ」
 食堂に入ってきた二人に同じく同期のタクマが話しかけると、ユウリは唇を尖らせて言った。

 大柄なタクマの隣に腰を掛けたレンは、注文を聴きにやってきたウェイトレスにラーメンを注文した。レンの正面に座ったユウリが定食を頼むのを見ながらタクマに話しかける。
「タクマ。昇格試験どうだったよ? 」
「ああん。ムリムリっ」
 適当な素振りで答えるタクマに、レンが賛同する。
「だよな。俺も死んじまって、ゲームオーバーよ」
「俺なんて三回も死んだぜ」

 二人の会話を黙って聴いていたユウリが二人を嗜めた。
「君たちさぁ。そんなことだからレベル三に上がれないんじゃないの? ……ゲームじゃないんだから、簡単に死んだりとかしないでよ。」
 彼女の真剣な眼差しに二人は舌を出した。確かに実際に戦場に行ったことのないレン達の会話は、日々命賭けで戦っている彼女を含めたレベル三以上の人間には、聞き捨てならないセリフだったようだ。
 今はコンピュータがシミュレーションした戦闘訓練の為、何度死んでも問題はないが、これが実際の戦闘であれば取り返しがつかないのだ。長い間レベル二に留まってるレン達はいつの間にかゲーム感覚になっていた。そのことに気づいたレンは、目の前に座る同い年の少女に対して恥ずかしいような、申し訳ないような気分になる。同じ世界にいるはずなのに彼女と自分では全く違う世界を見ていたようだ。

「レン君。今日の試験はどうでした? 」
 突然、背後から軽快な声が聞こえてきた。
 声の方へと顔を向けるとユウリよりもさらに小柄な少女、不知羽・ハルカが後ろ手を組んでやってきた。黒髪を二つに分けたツインテールの少女、まわりの視線を一身に集める彼女の服装は、同じ制服でも少し違っている。胸元には真っ赤なネクタイ。それに特待生を現すピンバッチが輝いていた。
 これは彼女が特別中の特別である司令官候補生だということを現している、六百人に一人しか選ばれない司令官候補は、この学校では誰もが憧れる存在。ただし、どういう判断基準かは不明だが………。
 一説によると、生まれた家系に依存するそうだ。家柄が良いと、安全な指揮官や司令官候補と馴れる可能性が高い。かくいうハルカもまた、噂通りの貴族の家系。いわゆるお嬢様だった。

 特待生の訓練内容は非公開で他の生徒達とは別の校舎で訓練している為、なかなか顔を合わせることも無い。
 とはいっても、なぜか彼女はときどき戦闘訓練生用の食堂にやってくる。本人曰く、こっちの食堂の料理がおいしいからなのだそうだ。

 レンは、ユウリとタクマにハルカを紹介した。
「こいつは、幼馴染の不知羽・ハルカ。一応、司官補生」
「士官候補生? って、不知羽家だってぇっ」
「はじめまして。お二人はレンと同期の方かしら? 」
 司官補生とは特待生の通称、司令官候補生の略だ。二人は、司官補生と言う言葉を聴いて一瞬驚いたが、すぐに自分達も自己紹介する。
「俺は、ユルマ・タクマね。よろしくハルカちゃん。司官補生を見るのは初めてだよ。すげぇな」
「はじめまして、レンのお・と・も・だ・ちの愛染・ユウリ、よ」
 ユウリとハルカは笑顔で顔を見合わせた。

 タクマは、レンにそっと耳打ちをしてきた。
「聞いてねぇぞ。こんなにかわいい司官補生の彼女がいるなんて。お前どれだけ恵まれてんだよ」
「彼女じゃねぇよ。ただの幼馴染さ」
 強い口調で反論するレンに、ハルカが口を尖らせて言った。
「まだ、ただの幼馴染なんですよ」
 まだ、ってどういうことだろうと首を傾げるレンの膝にテーブルを挟んだ対面に座るユウリの足蹴りが命中する。
「痛ってぇ。何すんだよ」
「別にぃ。レンはモテモテだねって思っただけ」
 キョトンとした表情のレンの膝にもう一度衝撃が走る。
「だから痛ってぇ、って」

「そういえばレン君。今度ね。私、指揮官を任せられているのですわよ」
「ああ、噂に聞いているよ。三十二階層制圧作戦だろ?」
 突然ハルカから任務の話が出るとは思いもよらなかった。特待生の訓練は非公開、今までハルカから訓練の話を聴いたこともない。
 正直自分と同じ落ちこぼれなんじゃないかと勘繰っていたのだが……
 自分と同期が司令官を務めるということに、単純に嬉しくもあり、また置いてけぼりにされたという不安も入り混じって複雑な心境だった。

「その三十二階層制圧作戦なら、私も出兵することになっているわ」
 その情報を知らないレンは、血相を変えてユウリの顔を覗き込んだ。
「まじ……なのか。お前がレベル三ってことは、いつかは実践配備されることになるだろうと思っていたけど、よりによって新階層奪還の任務に就くのか」
「ええ。頼りない男共を置いて、先に英雄になっちゃうわよ」
「冗談じゃねぇぞ。新階層奪還なんて、討伐部隊の先鋭がやる仕事じゃねぇか。今までお前がやっていた、残骸拾いとはわけが違う……本物の戦場なんだぞ? 死ぬかもしれねぇんだぞ」

 新階層奪還とは、サクラナナキュウ率いるサクラロイド軍に制圧されている階層を奪還するという任務だ。最前線で闘うことになるため、リスクが高く、死傷者が出る非常に危険な任務のことだ。地下都市『グラウンド・エデン』は複数の階層に分かれており、数字の少ない階になればなる程、地上に近づいて行く。今、人類が領土として安全を保障されているのは五十階層まで。そこから三十三階層までは防衛ラインとして安全マージンが取られている。

スパイダーに乗る兵士たちの主な任務は三つ。一つは戦場となった階層の修理や戦場で撃破されたサクラロイド、あるいは仲間の残骸拾いである。これはレベル三になり立てのユウリ達のような比較的若い世代が担当することになっている。
 その次に防衛作戦がある。これは三十三階層より先に潜入してきたサクラロイドを迎え撃つというものである。この作戦に失敗すれば、そのまま自分たちの領土が小さくなっていくため、非常に重要な任務である。
 そして最後が、新階層奪還作戦。この作戦に成功すれば、新たな階層を手に入れられるばかりか、再び地上に立つという希望に近づくことになる。しかし、この生活に慣れてきた市民たちの間では、あまり評価されない任務である。むしろ、『サクラナナキュウ』から目をつけられ、狙われるのではないのかと反感を持つ者さえいた。

 もちろん新たな階層を手に入れれば、その作戦に参加していた兵士たちは一躍ヒーローになれるが、だからと言って上層階層に移り住むような人間は少ない。むしろ、階層が大きいほど安全なのである。その為、この階層の大きさが一種のステータスとなっている。要するに、最下層は富裕層、そこからレン達のいるこの軍事学校のある四十五階層までが、一般階層である。
 作戦司令部のある四十四階層以降にも住むことができるのだが、そこから先は政府の関与が認められていないスラム街と化していた。敵に襲撃されれば、真っ先に被害を被るような場所であるがゆえに、その場を取り締まるようなものもいない。治安の崩れたモラルハザードが起きているそうだが、実際にレンはそこへ行ったことがないため分からない。

 奪還と防衛作戦に起用される兵士というのは、一般的にはその操縦スキルを買われているという意味だ。
 その中でもとりわけ有名なのが討伐部隊。それはスパイダーに乗るものならだれもが憧れる超一流の部隊なのだ。レベル五の六名はもちろん、レンですら名前は知っているような有名な兵士は討伐部隊に所属している。

「お互いベストを尽くしましょう」

 女性陣が一致団結する様を目の前で見せつけられたレンとタクマは互いに苦笑いになった。

「ユウリ、今日はちびっこカーニバルの日だろ? こんなところゆっくり飯食ってていいのかよ」
「……しまったぁ。ねぇ、ハルカ。今日のカーニバルに私、模擬演習として出場するんだよ。もしよかったら、レンとタクマと一緒に観に来てよ」
「ああ。良かったらお前も来いよ」
 今日のイベントを忘れていた様子のユウリは慌てて食事をかき込むと、目を丸くしてそれを眺めていたハルカに満面の笑みで言った。

 今日の午後からは交流イベントという催しがある。その内容は幼稚園から小学生までのいわゆる地上を知らない子供達、通称セカンドチルドレンに地上の素晴らしさ、サクラナナキュウと闘う兵士たちの姿を見せ、このグラウンド・エデンの安全性を主張するというのが表向きである。その裏にはスパイダー乗りに憧れる子供達を作り、将来有望な兵士を集う活動である。
 しかし、レン達にはそんな大人の事情は関係ない。久しぶりに任務を離れ、無邪気な子供達と遊んであげることが、厳しい訓練の息抜きとなっていた。
 その中でも実際にスパイダーに乗り、華麗なアクロバット飛行を行う模擬演習は、子供達からの憧れ、ヒーローなのだ。

「まったく。忙しないやつだな。ちっとはハルカを見習っておしとやかにできないものかねぇ」
 慌てて走り去るユウリを尻目にレンは根菜で溢れ返っている味噌汁を飲み込む。彼女がすれ違いざまに放った一撃が脇腹にめり込むと、思わず吐き出しそうになった。
「育ちが悪くて悪かったわね。どうせ私は親の顔も覚えていない生粋の軍人ですよぉだっ。私に女らしさ求めんなよっ」
 
 グラウンド・エデンは地下に存在する。天然の光に乏しいこの場所では、必然的に地下でも育ちやすい根菜がメインの食事になっている。家畜など肉類もあるにはあるが、畜産できる環境が限られており、高価な代物なのだ。
 そして何と言っても魚類。海の無いこの街では魚介類の類は一切存在しない。レンもこれといって魚が好きなほうではなかったが、それでもこれだけ食していないとたまに魚の白身が恋しくもなるものだ。
 レンは甘辛く煮た輪切りのレンコンを箸でつまむと、立ち去って行く栗色の長い髪先を見てニヤついた。
「レン。ユウリさんの事、好きなんでしょ? 」
「馬鹿っ。ちげぇよ。あいつとは昔からの幼馴染でだな。俺をここに連れてきてくれたのもあいつなんだよ……」
 レンとユウリはここ、グラウンド・エデンに来る前、二人がまだ地上にいた頃、同じ小学校という仲だった。とはいっても、それ以前から仲の良い関係を気づいてきたわけではない。むしろ名前を知っているというだけのクラスメート。あの日、どうしてユウリが呆然と立ち竦むレンの腕を引き、地下都市まで案内してくれたのかは定かではない。
 なぜなら、彼女はあの事件以前の記憶を失ってしまっているのだ。自分の家族のことも、彼女は覚えていないという。あの日レンが覚えているのは、半壊した街、真っ黒な煙と巻き上がる砂埃の中、頭から血を流した小さな少女がこちらに手を差し伸べている光景だった。
 サクラ・ナナキュウの暴走により家族を失い、1人助かってしまった不運な少年とそれを助けた記憶喪失の少女。

「さぁ、面倒だが、俺達もガキ共と遊びに行こうぜっ」
 タクマがそう言うと、レンは苦笑いになる。図体の大きい見た目や言動と違い、タクマは子供の面倒見が良い。レンにはああいっているが、子供が嫌いではないのだろう。確か、ここに来る前に弟を亡くしたと言っていたはず。
 この学園にいる生徒達は何かを失い、奪われ、それでもまたあの青い空を手に入れようとしているのだ。

感想・読了宣言! 読んだの一言で結構です