1章1話

 少年は両手に力を込め操縦する機体を百八十度反転させると、閃光の如く全速力で逃げ出した。急な加速で火花が散る。
「くそっ。やばい……はずしたっ」
 少年は自分の顔から血の気が引いていくのが分かる。叶うなら……もう一度始めからやり直したかったが、それは叶わないと悟るとすぐに目の前で起こっている現実に意識を集中させた。

 彼のすぐ後ろに鈍色に輝く三体の合金製のアンドロイドが続いた。起伏の激しい岩肌を滑走した少年は器用に蛇行してそれを躱す。

 あわよくば、後方からやってくる敵が岩に激突して自滅してくれることを願っていたが、完全制御された正確無比のアンドロイドには通用するはずもなく。少年との距離は縮まるばかり。

「くそっ。このままじゃあ、やられちまうっ」
 無限に続く荒野は、どこか別の惑星にやってきてしまったかの様な錯覚に陥る。ただ一つ違うところは、それが頭上にも広がっていることだろうか。
 そう、ここは巨大な洞穴。なぜ推測然とした表現なのかというと、正直少年もここがどこだかわかっていないからだ。

 彼の任務は、今まさに迫っているアンドロイド達を遠距離用ライフルで撃ち落すことだった。遠巻きにある岩陰に潜み、好機を伺っていた少年だったが、アンドロイド達は遠距離ライフルの射程距離からわずかに逸れた位置で停止した。
 最初はアンドロイド達が動き始めるまで固唾をのんで待ち構えていたのだが、彼には堪え性がなかった。自身に一番近い標的に向けてライフルの引き金を引いた。
 結果、射程距離内であれば外すはずのないミサイルにもかかわらず、三体のアンドロイドのわずか手前の岩礁に激突してしまったのだ。
 かくして追われる身となった少年が自分の行動を後悔する暇はなかった。遠距離ライフルを地面に放り出すと無心で逃げ出したのだ。
 少年が操縦するのは二足歩行型ロボット、スパイダー。薄い茶褐色の貧弱な機体は一見、黄ばんでいるようにも見える。右肩部分のサイドには「訓練生」の文字が恥ずかしげもなく表記されている。

 ふと、コックピットの暗視ディスプレイ越しに一筋の光が映る。遥か先の岩肌から差し込む光に吸い込まれるように彼は加速した。
「光?……まさか……」
 彼は暗視モードを解除すると、肉眼に映し出されたまばゆい光に目を奪われる。彼の間近まで迫ったアンドロイド達のことなど気にならなくなっていた。

 彼は勢い良く飛び上がると、脚部に装備された加速装置から暖色の炎を噴射させた。地面に引き込もうとする重力を引きはがし、上へ上へと上昇していく。急に方向を上へと変えた少年に対し、僅かに出遅れたアンドロイド達もすぐに再シュミレートを終え、彼の後に続く。

 猛スピードで上昇する少年はごつごつとした岩と岩の間をすり抜けて行く。疾走する少年は眩い光を遮るように左手を伸ばすと、その元へと最短距離で進む。途中、岩肌に体を激突させて体制を崩したが、それでも速度を落とすことはなかった。

 機体の腰に格納されていた片手に収まるサイズのハンドガンを取り出す。ハンドガンといっても、機体の手に収まるサイズだから少年と同じくらいの大きさだ。彼は狙いを定めると、前方に突出した岩礁目がけてトリガーを引く。
 弾むような衝撃と共に、前方の岩が砕けたが、その岩は少年の機体よりも高い位置にある。重力を得た砕けた岩岩がこちらへと振ってきた。
 右に左に、少年は手元の操作で蛇行運転すると、それらを何とかやり過ごす。そして僅かに後方に視線を移した。
 少年の後ろにいたアンドロイド達はすぐさま前方の障害物を確認すると、完璧なシミュレートで最短距離を割り出すとそれらを躱していく。

 だが、完璧な機械にも誤作動は起こる。一番後方にいたアンドロイドが、前方を走る別のアンドロイドに邪魔され動きを止めた。その上に砕けた岩が激突すると、制御を失ったアンドロイドは火花を散らして岩礁の壁に追突した。

 そのまま一心不乱に目標へと進む彼の意識を戻したのは、強い衝撃だった。激突した覚えもないのに衝撃を受けたその理由を察した少年は顔を顰める。機体の右足にアンドロイドの椀部に装着された鍵爪のようなものが突き刺さっていた。彼の足にぶら下がるような格好となったアンドロイドの装甲の隙間から発せられる目のような赤い光と視線がぶつかる。
 次の瞬間、背中に強烈な熱線を感じた少年は、再び頭上へと視線を向けなおした。彼がよそ見をしている間に、わずかに上昇する角度がずれ、岩の壁に背中をこすり付けていたのだ。
 慌てて左足で壁を蹴って軌道修正すると、ついでに右足を意図的にこすり付けた。彼の右足とそこにぶら下がっていたアンドロイドは、激しい火花を散らす。――そして、鋭く尖った岩壁を抉り取ったと同時に、ゴギっという鈍い音と共に彼の体が軽くなった。

「ぐあああああああっ」

 絶叫した少年は、それでも速度を一切落とすことなく、むしろ前よりも加速していた。
 彼の右足にぶら下がるアンドロイドの排除だけでなく、機体の右足もろともごっそり持っていかれたのだ。切断面からは無数の火花が散っていた。
 彼のわずか下降で並走していた二体のアンドロイドは、上から落ちてきた仲間のアンドロイドには目もくれず、いまだ標的である少年の後を追いかけてきている。構わず上層に見える光の環の中へと飛び込んでいった。

 細い岩と岩の間から抜け出した少年は、青空の広がる地上へと辿り着いた。
「空だ。七年ぶりに見た地上の青空だ――」
 少年は無限に広がる景色に胸を打たれていた。結果、自分の状況を把握できてはいなかった。

 彼の両脇腹には、二本のブレードが突き抜けていた。それに付随する二体のアンドロイドをぶら下げた状態で、彼はなおも上昇していたのだ。
 しかし、その勢いも次第に減速していく。

「うおおおおおお……もっと――もっと高く――」

 無情にも重力が彼を下降させていく。
 少年は、自分の口から流れる鮮血すらも気に留めてはいなかった。
 ただ、目の前に広がる青空とそこに浮かぶ真っ白な雲を掴むように左手を突き出す。

「いつか……いつの日か必ず……もう1度あの雲を掴んでみせるっ」

 そこで少年の視界がフェードアウトされる。先程まで映し出されていた青空は、一瞬にして消え去り、黒一色になった。さらに、赤い文字で『You Are Dead』の文字が浮かび上がる。
 しばし、眼前に表示される三Dテキストを呆然と眺めていた彼の耳に軽妙な声が響く。
「もう、なにやってんのよ。レンっ。これが訓練じゃなければあんた、死んでたのよ? 」
「…………」
 少年は呆然と背もたれに身を預けたまま、何も答えなかった。
「レン……アサギ・レン。聞いているの? はぁ……まったく。あんたは罰として床掃除でもしていなさいっ。戦う気のない人間はここには必要ないのよ……」
 語調を荒げた声の主に、ようやくレンと呼ばれた少年は重い口を開いた。
「はいはい。レベル三の愛染ユウリ隊長。俺みたいな使えない奴は、ご指示通り床掃除でもしていますよ」
「…………」
 彼女はまだ何か言いかけていたが、レンはすぐに通信を切ってしまった。

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