2章3話

「これがグラウンド・エデンのサーバールームですか」
 不知羽ハルカはそう言うと巨大なサーバーラックの群を見上げた。ここはグラウンド・エデン司令部の地下にある。司令部が扱うコンピュータのデータは全てここに集まっていた。
 そしてあの世界最高のスーパーコンピューター、サクラ・ナナキュウですら侵入することのできない最強のセキュリティ施設。

「ごめんなさいね。一応司令官に付き添ってもらう決まりなので。ハルカ准将殿はこういった分野にも興味がおありですか?」
「サクラさん。からかわないでくださいよ。司令官候補生からようやく一人前になった未熟な私に敬語はいりませんっ」
 士官候補生。それはレンやユウリたちのような一般の訓練生とは一線を引いたエリート生にのみ入ることの許される特別クラスだ。生まれた家系や素質で入隊することを許される彼らは、通常の兵士が大将までの階級にしかつけないのに対し、いきなりその上の准将から入ることになる。そして上は元帥、つまり最高司令官まで昇り詰めることができるのだ。ちなみに、レベル5ですら大将までしか昇ることはできない。
敬語を使われ、あたふたするハルカに「ふふっ。かわいいわねぇ。」といってサクラは笑う。
彼女は手にしたUSBを1台のサーバーPCに接続するとものすごい速さでタイピングをし始めた。
画面上に表示されたアイコンやコンソールが瞬く間に変化していくのをハルカは呆気に捕られて見ていた。
「はー。すごいですね。でも、どうしてメンテナンスしないといけないんですか? これってサクラさんのお父様が開発した、サクラ・ナナキュウにもないセキュリティシステムですよね?」
 彼女の名はサクラ・アンリ。サクラ・ナナキュウの生みの親であるサクラ・ケイジの娘だ。彼女の父親、つまりサクラナナキュウの生みの親はこのセキュリティシステムの知識をサクラ・ナナキュウに与えていない。つまりこのシステムなら絶対に侵入されることはないのだ。
 ハルカの質問にメガネの下の瞳を輝かせると、彼女は言う。
「うーん。まぁ実際にはそうなんだけど。技術は常に進歩しているんですよ。私の父がサクラ・ナナキュウに与えた知識なんてもうとっくに淘汰されて、あのスパコンは新しい技術を自らの知識で作ってるんです。それと同時にスパイウエアもね」
 話しながら彼女はあるコンソール画面をハルカに見せてくれた。
「これ、何のログだかわかるかしら?」
「2300件……ウイルスの駆除件数、ですか?」
「そう、これは1ヶ月のウイルス検出回数なのよ。つまりこれだけのスパイウエアがこのシステムを乗っ取ろうとやってきたわけ。あのサクラ・ナナキュウからね」
 1月に2300件とは異常な数である。しかもそのどれもが違う最新のコンピューターウイルスなのだとサクラが説明した。
「そしてこの32.34%っていうのが、セキュリティシステムの突破された状況なのよ」
「えっ。それってもうすでに30%以上が破られてるってことですか?」
 目を丸くして驚くハルカにサクラが無言で頷く。ディスプレイに目を戻した彼女の横顔は真剣そのものだ。
「私の仕事はセキュリティの管理とバージョンアップ。つまりこの破られた32%部分の強化なのよ」
「すごいですね。ということは、サクラさんならこのセキュリティを突破できるってことですか?」
「……もちろん。それにこのUSBの情報があればサクラナナキュウにだって簡単にできる――」
 そこでサクラは口を閉ざした。ハルカはなにが起こったのか一瞬わからなかった。一瞬のうちにハルカは暗闇に落とされたのだ。

「?」
「動くな。じっとしていなさい」
 ハルカの首元に力が加わる。恐らく羽交い絞めされているのだろう。そして彼女の顔に何かを被せた。つまりこれは人質だ。
「あなた。誰ですか?」
 彼女はこのくらいでは動じない。一応ここでは准将なのだ。
 声の主と首に掛かる細腕から犯人は女だとわかる。だが、こんな場所で一体何が目的なのか。
 司令官であるハルカが狙いなのかと最初に思ったのだが、だとすれば自分よりもサクラの方を人質にとるであろう。

 つまり、この犯人の狙いはサクラ側にある。彼女の持っているセキュリティシステムだとすぐに感づいた。この時ハルカはポケットに忍ばせた緊急信号のボタンを押すと犯人を刺激しないように尋ねた。
「ここにはいくつものセキュリティがあるはずです。どうやってここに侵入したのですか?」
「…………」
 彼女の質問には答えず、犯人はサクラに何か指示を出しているようだ。程無くして体に強い衝撃が走った。
強く押し飛ばされたのだと気づいたが、この暗闇ではどうすることもできない。倒れ込む彼女を支える者がいた。きっとサクラであろう。
すぐに視界が開けるとまばゆい光で一瞬目が眩む。すぐに目が慣れると犯人の姿が映りこんだ。それは全身を黒いゴム製のスーツに包み。顔までしっかりと覆っている。
「あなた。強いわね」
 犯人に褒められてもちっとも嬉しくない。自分と同じくらいの小柄な背丈からして女なのは間違えない。ハルカを支えるサクラが立ち上がって言い放つ。
「当たり前でしょ? 彼女は准将殿なんだからっ」
「……准……将ですって?」
 さすがの犯人も彼女の正体を知ると驚きを隠せなかったようだ。大方、サクラの助手か何かだと思われたに違いない。
「っち。ってことは緊急用のアラームを持ってるわね」
「ええ。もうとっくに通報しましたよ」
 舌打ちする犯人にハルカが言い放つ。だが犯人は右手に持った銃をこちらに向けるといとも簡単に引き金を引いたのだ。
 サーバールームという閉鎖空間に鋭い銃声が鳴り響いた。

 激しい銃声か鳴り響いた。このグラウンド・エデン司令部において、こんな惨劇が起きるなんて。
 司令部の護衛チームが全力で黒スーツの女を追いかけていた。彼らの手に握られた重火器が火を噴く音が遠くに聞こえる。
「サクラさん……大丈夫ですか?」
「だいじょ……ぶなわけないでしょっ。あの女。よりにもよってサーバーを撃ちやがるなんてっ」
怒りに燃えた彼女はキーボードを強く叩いている。その表情からして深刻な事態だということは分かった。
すぐさま彼女は火を噴くサーバーからディスクを取り出すと別のサーバーにそれを突っ込む。
「USBを取られたわ。すぐにあの兵隊さん達に教えてあげて。アレを取り返さないとセキュリティが破られるって……」
「分かりました。でもセキュリティシステムのあるサーバーが壊れたんじゃ?」
「いえ。万が一の故障に備えてミラーリング掛けてあるからそれは大丈夫。セキュリティは無事よ。ただ、もう1つの方も壊されたらやばかったわ」
 そう言いながら必要なデータを別のサーバーに移すと。燃え盛るサーバーに向かって消火器を噴射した。
 ハルカもすぐに無線で兵士たちに告げる。なんとしてもUSBを取り返す様に命令したのだ。

 

 青い短髪の女。筋肉質な彼女が自動扉から出ると足早に歩き始めた。手には書類が握られていたが、彼女はそれがくしゃくしゃになることも気に止めず。強く握りしめる。
「誤作動か? さっきのセキュリティ。あれはハルカのものだった……」
 彼女の脳裏に一抹の不安が過る。すぐさま彼女の携帯が鳴り響いた。そこには軍の無線回線から掛かってきたもののようだ。
「大佐。謎の侵入者がサーバールームで准将とネットワーク管理者を人質に。犯人は人質を解放して未だ逃亡中です」
 大佐と呼ばれた彼女の胸元に輝くバッチ。それらが彼女の功績を物語っていた。
 彼女の名は有禅ミサオ。このグラウンド・エデンに6人しかいないレベル5である。
「人質は無事なのだな? ……よし。何としても犯人を追い詰めろっ」
「それが……向こうもかなりの手練れのようでして。こちらも追い詰めているのですが、なかなか……」
「なるほど。それをなぜ私に報告したのだ?」
「はい。犯人が大佐のいらっしゃる方へ向かっている者ですから――」
 この兵士の会話も最後の方はまともに聞いていなかった。なぜなら、すでに彼女は犯人と思わしき人物を視界に捉えていたからである。
「ほぉ。女のスパイ……か? 運のない奴だ。このミサオさんから逃げられると思ったのか?」
「…………」
 さすがの侵入者も目の前に立ちはだかる女性が誰なのかは知っている様子。先程までの兵士と同じように適当にあしらえるような相手ではないことを察した女は慎重にミサオに詰め寄って行った。このまま睨み合っていても、後ろからやってくる兵士に挟まれることを知っていたのであろう。彼女はミサオに向かって一気に距離を縮めてきた。
「いいねぇっ。アタシに接近戦を掛けてくるなんざ。アンタ、根性あるわっ」
 ミサオはそう言うと接近してきた女の顔面目がけて拳をぶち抜く。彼女をよく知る兵士なら思わず目を瞑る場面だ。
 しかしこの女は違った。ミサオの強烈な右ストレートを上半身を捻っていなすと、逆にミサオのボディに拳を見舞ったのだ。カウンター気味に入った女の一撃はミサオの体を弾き飛ばすと後方の壁に激突する。
「がはっ」
 すぐさま壁にめり込んだ体を起こしたミサオは苦悶の表情になりつつも目の前の女を睨み付ける。
「ナロー。アタシの部下だったら抱きしめたくなるくらいかわいいやつだなっ」
 ミサオの嫌味に思わず恐怖した侵入者の女は悶絶したまま動かないミサオの顔面に留めを見舞うべく、右の拳をブチ込んできた。1秒でも早くこの場所から立ち去りたいというよりは目の前の強敵を倒せるうちに倒しておきたいという感情がこの侵入者を掻き立てたのだろう。
 だがミサオは戦闘不能状態になっていたわけではなかった。相手の力量を把握したうえで、それに敬意を表し、全力で叩き潰すために相手の攻撃を待っていたのだ。
 結果、この女の侵入者の右拳はミサオの顔面から数センチの所で停止していた。そう、まるで肉食の猛獣が獲物が喰らいつくのを待っていたかのように、ミサオは相手の強烈な一撃を片手で握りつぶすと、白い歯をむき出しにして空いた右拳を逃亡者の顔面目がけて撃ちこんだのだ。
 捕まった侵入者は身動きを取ることもできず、ミサオの強烈な一撃にその身をさらす他ならなかった。女の小柄な体は軽々と宙に跳ね上がると反対側の壁まで一直線に飛び、めり込んでいった。
 しかし、ミサオの表情は芳しくない。不気味な苦笑いを浮かべると目の前の壁から這いずり出てきた侵入者に言い張った。
「ほんとにたいした女だよ。脱力でアタシの一撃を緩和させるとはね。まったく、こっちはアバラをやられて動けねぇってのに……」
 ミサオの言葉に嘘はなかった。事実アバラは骨折していたし、自分の放った右拳だけでも意識がトビそうな程の痛手を負っていた。
ミサオがわざわざ自分の状態を説明したのには意味がある。目の前の標的に自ら近づくことのできなくなった彼女は自分が深手を負っていることを教える事で、彼女に止めを刺しにくるように促したのだ。手負いのミサオを倒せるチャンスを与えることで、無防備に近づいてくる敵を叩きのめす。それが彼女の策。
案の定この侵入者はミサオに向かって三度目の接触を図ってきた。狙いを定めたミサオの右拳が侵入者に向かって真っすぐ伸びると、それを躱した侵入者がそのままミサオの横を素通りしていく。
「っち。ツレないじゃあないか……」
「すみません。勘弁してください。本気のあなたには敵いませんから……」
 見事、ミサオの脇を素通りした侵入者は立ったまま動くない彼女に対し、頭を下げると走り出した。
「なぁ。アンタっ。忘れも取りに来なくていいのかい?」
 ミサオが意地悪な笑みを零すと、それに反応した侵入者が振り返る。ミサオの手に握られていたそれを見た侵入者は覆面の穴から覗いた唇を歪めてくやしがる。
 ミサオの手に握られていたのはUSBメモリーだった。それはこの侵入者がリスクを犯してまで奪い取ったグラウンド・エデンのセキュリティシステム。そのデータが入ったものだ。
「まぁこいつは返してもらうよ。奪いたきゃあ、アタシを倒して奪うことだねっ」
 彼女の誘いに侵入者の女は一瞬構えたが、すぐに両手の拳を崩すと背中を向けて走り出した。

 侵入者の姿が見えなくなるまで静止していたミサオ。彼女の背後から遅れてやってきた兵士たちが駆け寄る。
「遅いんだよ。バカどもがっ! イテテ……まったく。あの女の方がよっぽど優秀だねっ」
「大佐、申し訳ありませんっ。あの……お怪我は?」
「見りゃあわかんだろ? ろっ骨をやられたよ。あの女相当強いぞ。これ……今度は絶対に奪われんなよっ!」
 ミサオは手にしたUSBメモリーを兵士の一人に乱雑に渡すとそのまま医務室へと歩いていく。
「すごいですね。あの大佐に深手を負わせるなんて……。そしてそんな中、きちんと任務を全うしたあの人もさすがです……」
 彼女から戦利品を預かった兵士がノタノタと歩いていくミサオの背中に向かって敬礼すると、他の兵士たちもそれに習った。

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