2章2話

 7月だというのに外は過ごしやすい気温だった。それもそのはず、ここは有限の空間。いわば巨大な部屋の中に全ての建物が収まっている状態なのだ。部屋の温度を調節するように、このフロア全体の温度が設定されている。正直、室外でも室内でも温度に差はないのだ。
 訓練学校の敷地にあるベンチまで車イスを引いて歩いてきたアサギ・レンは遠くの建物からこちらの様子を覗っている訓練生たちの視線を感じ取ると、目の前に座る少女に尋ねた。
「ユウリ。良いのか? 生徒達がこっちを変な目で見てきてるけど……教師としていろいろまずいんじゃねぇのか?」
 遠くからこちらを見ているのが、この少女の生徒である。つまり教師である彼女だったが、その年齢は生徒達と大差ない。彼女のためを思って気に掛けたレンだったが、肝心の少女は車イスから上半身を起き上がらせると、窓に映る生徒達に向かって大きく手を振った。それを見た生徒達はすぐに窓から姿を消す。
「おい。お前、怖がられてるなぁ。知ってるぜ? 鬼教師様っ」
「誰が鬼よ。そもそも年齢的には年上の訓練生だっているのよ? 舐められちゃあ、仕事にならないでしょうが」
 そう言って白い歯を見せた彼女は愛染ユウリ。訓練学校の新米教師だ。車いすをベンチに横付けすると、レンは腰を下ろした。
 彼女がこんな若さで指導員をしているのには理由があった。訓練学校の教員をやるのは大概が兵士としての任期を終えた老兵ばかりである。もちろん、中には現役の兵士が特別授業と称して教鞭をとることも少なくないが、担任指導員ともなるとその数はぐっと激減する。
 彼女のように若くして指導員を務めるのはほとんどが心身に何らかの問題が生じ、兵士として使われなくなった者である。
 1年前、ユウリは任務中の事故で下半身マヒとなってしまった。レンは、あの日のことを鮮明に覚えていた。彼が操縦するスパイダーの手の中から零れ落ちる彼女を助けることができなかった。幼馴染であり、一番の親友、そしてライバルでもあった彼女を救うことができなかったのだ。
 
「そういえば、レン。レベル4への昇格おめでとう」
「あ、ああ……」
 少しばかり過去に思いふけっていたレンは、間延びした返事で応じる。ユウリはそれが気に入らなかったのか、嫌味を言い始めた。
「まったく。私の方が先にレベル3になったというのに。もうアンタに追い抜かれるなんてね」
「…………」
「まぁでも、私もあの事件でレベル4に昇格してるから一緒よね? まぁ、私の場合は実力じゃなくてお情けだけどっ」
 レンは何と答えれば良いのか分からずに黙り込む。傷口を抉られたような気分だ。これは自分がしたことを彼女が恨んでいるという意思表示だろうか。
そうレンが重く受け止めていると、ユウリが悪戯な目でこちらを見上げてきた。
「もっと堂々としていなさいよ。これでも、元レベル5最有力とまで言われた私を抜いたんだから」
「ああ。お前がすごかったことは分かってる……」
「かった? 過去形じゃないわよ。私は今だって頑張ってるわ。あんまり指導員という職業を馬鹿にしないでもらえるかしら?」
「すまなかった。そう言う意味じゃない。ただ……」
 思いつめた表情をするレンに、ユウリが笑って答えた。
「分かってる。そりゃあ私だって叶うならもう1度スパイダーに乗って戦いたいわ。でもね、もうその事には踏ん切りがついてるの。だってもう1年も経つのよ」
 彼女の言葉でどれだけ自分が救われたのだろう。つらいのはユウリの方なのに。
「1年か。もうそんなに経ったんだな」
「そうだね。私なんてもうじき最初の卒業生が生まれちゃうかもよ?」
 レベル3への昇格試験。訓練生は半年に1度行われる試験でレベル1からレベル2。またはレベル3へと昇格する。滅多にないことだが最短で1年という期間でレベル3になれる。事実ユウリがそのケースだった。レベル3に昇格した訓練生はもう訓練生ではなく、一人前の兵士として扱われ、戦地へと赴くことになる。
 そして訓練生にとって一番うれしいイベントといえば、自分専用のスパイダーが与えられることだろう。
 レン自身はとある境遇から自分のスパイダーを入手してしまった為、そういったイベントはなかったが、それでも自分専用の機体には素直に嬉しかったものだ。例えそれがどんなに欠陥品だったとしても。

「で。今日はお祝いをしてくれるために呼び出したのか?」
 今日は珍しくユウリから「時間取れない?」という内容のメールが送られてきたのだ。普段はレンの方からメールを送っていたのだが、めんどくさがりな性格と訓練や実践で忙しくてこのところあまり連絡が取れないでいた。
 ユウリは口ではあんな言い方をしているが、スパイダーのパイロットであるレンを気遣い、極力自分からメールを送らないようにしてくれていたのだろう。そんな彼女が自分からメールを寄越してきたのだ。単にお祝いの言葉を言うだけなら電話で事足りる。そうレンは思ったのだった。
「メールや電話じゃなくて、直接あって祝たかったのよ。悪い? ……なんちゃってね。ほんとは相談したいことがあったのよ」
「相談?」
「うん。まぁ……自分で解決できそうだし、別のことを相談しようかな」
「別のことってなんだよ。最初のは自分で解決できる内容なのか?」
 もっと彼女とたくさん話がしたい。彼女のクラスでのこと。自分の最近の出来事を。そう思ったレンはユウリの相談に耳を傾ける。
「1人。気になる生徒がいるのよ。アリサちゃんって子なんだけど」
「クリスじゃないのかよっ」
「クリスは優秀だからすぐにでもレベル3になるでしょうね。でも、あのクラスではクリスは2番目の成績なのよ」
 レンはユウリの言葉を意外に思う。元グラウンド・スラム層出身のクリスは重火器の扱いにも長けており、そのうえ頭もいいと聞いていたので、てっきり彼が最優秀訓練生だと思っていたからだ。
「私のクラスの最優秀訓練生はそのアリサちゃんなのよ」
「へぇ。女の最優秀はお前以来じゃねぇか。で、そのアリサちゃんがどうかしたのか?」
 レンがユウリの事を最優秀と言ったことにむっとするが、すぐにいつもの表情に戻ると続きを話しはじめた。
「問題は彼女が優秀すぎるのよ」
「なんだそりゃあ。優秀ならいい事じゃねぇか。むしろ今度俺の隊に配属希望を出させてくれよ」
「いや。あの子はきっとレンではもてあますと思うわよ? だってレンよりずっと優秀なんだから」
 今度はレンがむっとする番だった。
「へいへい。最劣等生で悪かったな」
「はは。でもね。あの子と比べたら誰だって見劣りするわよ」
 ユウリの彼女への贔屓が過ぎると思ったレンだが、ユウリ程の人物にそこまで思われるほどの訓練生となると自然に興味が湧く。
「運動能力も学力も共にSクラス。その全てがあの不知羽リオンと同等かそれ以上よ」
 不知羽リオンの名前が出るとレンは思わず暗くなった。かつて最強のレベル5と呼ばれた彼はあろうことか軍を裏切り、サクラ・ナナキュウ側についたのだ。
「そいつは……すげぇな。レベル5確定の逸材じゃねぇか」
「ええ。彼女は入隊以来いくつもの記録を塗り替えてるの。でもまだレンの記録は破られてないけどね」
 レンの記録。それは反射神経の記録だろう。劣等生だった彼が、唯一打ち立てた誇れる偉業。それが反射神経最速というものだった。
「まぁそれも時間の問題かもね」
「ほんとに凄い子だな。でも全然問題点が見えないんだけど?」
「そうね。ただ優秀ってだけならいいんだけど、なんていうのかな……人間身がないというか、彼女の凄さは凄すぎて機械的な、超人的な領域なのよ」
「超人って。素手でスパイダーと遣り合えるっていうのかよ」
 それならたいしたことない。と自信ありげに答えるレン。それ彼の超人を指す指標なのかとユウリはうなだれて見せた。
「それは……無理かもだけど。でも握力は100キロを超えてるわ」
「ぶっ。そりゃあバケモノだ。ゴリラ女かよっ」
「普通に背の小さな可愛い子よ。体格も私と変わらないわ」
 レンは「うーん」とうなりながら両腕を組んで悩む。確かにそれは普通じゃないかもしれない。彼女の説明では筋肉量と実能力が伴っていないという意味なのだ。そこから考えられるのはやはり超人という言葉。
「わかった。ハルカに頼んでその子のことを調べておくよ」
「お願い。その子の名前は結状アリサ。……あと、ハルカにもよろしく言っておいて」
「へいへい。……ところで。お前自身の悩みの方はいいのか?」
「うん。本当に大丈夫。何かあったら、また教えるわ」
 彼女はそう言うと自分で車イスを反転させ、レンから離れていく。後ろ向きのまま彼女がこちらに手を振った。
「じゃあ。またなにか分かったら連絡して。そろそろ午後の訓練に戻るわ」
「ああっ」
 レンもベンチから立ち上がると、彼女とは反対の方角へと歩み始めた。上を見上げると、空を映し出すスクリーン上の太陽が真上からやや沈んだ角度に移動する様が映し出される。
 許されたわけではない。彼女の傷は癒えることはないのだ。ユウリの車イス姿を久しぶりに見たレンは胸が締め付けられる。
「はぁ。さてと、午後の訓練始めますか……」
 気を取り直して訓練学校を後にするのだった。

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