2章1話

 時が過ぎるのは早いものだ。クリスがこの下層域にやって来てから、もうすぐ1年が経とうとしている。

 彼が銀髪の長い髪を鬱陶しそうにかきあげると小さな悲鳴が漏れる。声のした方へ目配せしたクリスは同じクラスの女子訓練生の集団が自分を見ていることに気づいた。
「やっぱり。クリスくんてハーフだし、格好いいよね」
 そんな言葉がこっちまで聴こえてくる。青色の瞳に銀髪の彼は父親は日本人だったが、母親が外国人である。いわゆるハーフというやつだ。幼い頃からそれが原因でよくからかわれもした。特に一番つらかったのはこの地下世界にやってきてからだ。
 身寄りのない彼はグラウンド・エデンに住むことを許されず、病気の母と2つ上の姉の3人で中層域にあたるグランドスラムに住んでいた。そこではそれまで生きてきた以上にハーフだというだけで酷い目にあったものだ。
 そんな過去を持つ彼は自分が周りの人間と違うということを良く思うことはなかった。だが人間と言う者は不思議だ。自分と違う外見をもつものを嫌う者もあれば、それに惹かれる者もいる。特に年頃の若い女子訓練生には、彼が特別な存在に映るようだ。

 良くも悪くも彼はいま、グラウンドエデンの軍事学校の第10期訓練生として生活していた。
 こんな平和な学生生活をもう1度味わうことなどもう二度とないと思っていたのだが。人生何があるかわからないものだ。一つ確かなことは、あの日アサギ・レンという男に出会わなければ、今の彼の生活はない。

「やっぱり、クリス君もいいけど。うちらが一番気になるのはあの人よね……」
 女子たちがきゃっきゃっと喚いている。彼女たちは窓の外から移る景色に夢中の様だ。もちろんクリスも窓の外の景色に興味がないわけではない。が、それを温かく見守っていたいと思っていた。

 窓の外に映るのは二人の男女。車いすに乗っていたのは、クリスや女子訓練生たちの担任である愛染ユウリだった。彼女は1年前の事故以来、下半身マヒという重度の障害を患っている。そしてユウリの車いすを押している青年がクリスの人生を変えた人物、アサギ・レンだった。
「絶対あの2人つきあってるよねぇ。いいなぁ。ユウリ先生。だって、あの人レベル5候補のアサギ隊長でしょ? ……なんでも歴代最速でレベル4になって、今度の任務で隊長を任されてるらしいよ」
「うっそ。だってうちらとそんなに年変わらないんでしょ? しかもちょっとカッコいいよねぇ。ユウリ先生、玉の腰かよっ」
 二人の事情を知らない彼女たちは好き放題言う。クリスは「なにも知らない奴らがあの二人を語るんじゃねぇよ」と苛立ちを口にするが、少し離れた場所で騒いでいた女子訓練生には聴こえていないようだ。
 実際にはレンよりもユウリの方が成績は上であった。あの女子訓練生たちは知らないだろうが、ユウリもまたレベル3の訓練生だったのだ。それも天才と言われ、レン達よりも先に訓練生を卒業した彼女は、間違えなくレベル5クラスの兵士になっていただろう。それほどの逸材であった彼女だが、最初の実戦でミスをしてしまう。
 実践などという物騒な表現をしているが、それはまさしく弾丸飛び交う戦場を現している。

 今から7年前、史上最高のスーパーコンピューター「サクラ・ナナキュウ」によって人類は地下世界へと追いやられていた。AIが内蔵された全てのロボットに干渉するサクラ・ナナキュウは軍事用ロボットを従え、人間達に反乱を起こしたのだ。
 難を逃れた人類は地下世界に移り住んだ。それがここ、グラウンド・エデンだ。今もなお軍事用ロボットはサクラロイドとして地下世界を脅かそうとしている。
 それに対抗するため開発されたのが、AIを一切搭載していないパイロットによる制御の身で動作する二足歩行型ロボット、通称スパイダーという機体だ。訓練生であるクリスはまだ実際のスパイダーを操縦したことはないのだが、訓練生を卒業したレベル3以降の者は自分の機体が割り当てられる。
 そしてスパイダーはサクラロイドの干渉を防ぐため、最初に登録されたパイロット以外は何人も操作することができない。
事実、ユウリの愛機だったアマテラスも永久凍結という形で眠っていた。

「はぁ。俺も早くスパイダーに乗りてぇーなっ」
「ユウリ先生のあの姿を見てもそんなことが言えるなんて、あなたもたいしたものね……」
「?」
 独り言を言ったつもりだったクリスは思わぬ返答に驚くと、声の主を見上げた。そこには黒髪の結んで団子状にした少女がいる。見上げたといっても僅かに首をあげた彼は椅子に座ったままである自分と立ったままの少女と大差ないくらいの背丈だ。単にクリスが長身なだけかもしれないが、それでも彼女は他の女子訓練生と比べても平均以下である。
「えーと。……」
「……アリサ。結状アリサよ。同期の顔と名前くらい憶えておきなさいよ」
「あっわりー。俺、人の顔覚えるの悪くてさ」
 クリスは素直に謝った。今まで他人からひどい仕打ちを受けてきた彼は、他人の顔を覚えようとしない、いやできないでいた。相当彼の印象に残った相手ならまだしも、同期の訓練生はほとんど見分けがつかない。
「しかし、ここは訓練学校なんだから……ああいうのはどうかと思うわ」
「え? ユウリ先生のことか?」
「なぜ、あの二人は生徒がいるこんな場所で……」
「なんだよ。うらやましいのか?」
 クリスは仏頂面でユウリ達を見つめるアリサに悪戯な笑みを零す。しかし彼女は意外な言葉を発してきた。
「どうして人は。人を好きになるのかしらね。私にはそう言う感覚がないから……」
「はは……。そりゃあ恰好つけもいいところだろう、誰だって他人から好かれたいという感情はあるものさ。それが分からないなら、俺とつきあってみるか?」
「そうね。じゃあ、私に教えてくれる?」
 クリスが冗談半分に口説いて見せると、アリサは真面目な。相変わらずの仏頂面でその誘いに乗ってきたのだ。
「ちょっと。アリサの奴。なにクリス君に口説かれてんのよ」
 周りの女子訓練生がアリサに陰口を言い始めたが、彼女は意に介さない。それどころか、「じゃあ私は予定があるので、ここで失礼するわ」と言って立ち去る始末。
「なんだ、ありゃあ。結状アリサか。面白い女だな」
 クリスは彼女の名前を頭の中に刻むのであった。

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