1章18話

「わぁ。綺麗」
 ハルカは黄色一色に染まった花畑に近づくと、両手を広げて喜んだ。機体から降りたレンは、彼女に近づくとその隣に座る。
「なんでこんな訓練施設に花畑なんてあるんだろうな。スパイダーに踏まれるかもしれないのに……」
「きっとスパイダー乗りの心を癒すために誰かが植えたんですよ」
 ここだけアスファルトでなく、生の土がむき出しになっている。彼女の言う通り、誰かが意図的に用意したものなのだろう。すぐそばには川も流れている。
「グラウンド・エデンって、太陽がないじゃないですか。だからこんなにたくさんの花が咲いているところって珍しいんですよ」
 そうなのかとレンは答える。普段彼らが見ている植物というのは、人口プラントで作られた太陽をあまり必要としない物ばかり。花の咲く植物は造花が殆どなのだ。あまり花になど興味がなかったレンはそんなことは知りもしなかった。

「私ね。本当に感謝しているんです。ユウリさんが無事に帰ってきてくれて」
「感謝?」
 レンは突然そう口にした彼女の意味が分からず、困惑する。
「だって、正々堂々と戦えるじゃないですか。私、ユウリさんに宣言したんです」
 どこからともなく巻き起こった優しい風がレンの頬を伝うと、そのままハルカの髪を靡かせた。
「私はレン君が好き。今はまだ、敵わないかもしれないけど、ユウリさんには負けませんって」
 彼女がこちらに振り返り、にっこりと笑った表情が印象に残った。レンは同い年のハルカを妹のように思っていたのに。彼女のはっきりとした言葉に、レンは頬を赤らめてたじろいだ。
「な、なに言ってんだよ。お前が俺のことを――」
 レンはそこで気づいた。彼女や自分を包み込む風が激しくなっていることに。
そして彼は反射的に後ろに跳びさがった。

 上空から、天井をぶち破る光の一閃がレンの目の前に降り注ぐ。
「ハ、ハルカっ」
 レンはそう叫んだが、辺りは煙で良く見えない。その煙を斬り割くように何かが上から彼の前に落ちてきた。
 両手を自分の前におき突風を防いだレンが目の前に視線を戻すと、そこには闇夜に同化する一体の黒い機体。その手の中にハルカの姿を捉えたレンは叫んだ。
「ハルカぁっ」
 しかし彼女の応答はなく、代わりに黒い機体はマシンガンタイプの銃を装備すると、レンの後ろに待機させておいたオーディーンを撃ち抜いた。
 攻撃を受けた白銀の機体は仰向きに倒れると砂埃を巻き上げる。ハルカを連れた黒い機体はそのまま上空へと飛び上がった。
「待ちやがれっ! この間、ユウリを邪魔しやがった機体だな。お前は何者だ? スパイダーなのか?」
 一瞬動きを止めレンの疑問を聴いたようにも見えたが、そのまま彼を置き去りにして飛び去って行った。
 レンもすぐに倒れたオーディーンへ向かって走るが、もう黒い機体はフロア上空に空いた穴から姿を消してしまう。

 そして、その後を追うように緑の機体を先頭にそれに追従する複数の機体が飛び去って行くのをレンは確認した。
「ミサオ……さん?」
「ばっか野郎っ! 後でお前にはきついお仕置きが必要みたいだなっ」
 オーディーンに乗り込んだレンはスピーカーから罅割れたミサオの怒声に思わず肩を竦めた。
「ハルカを。あいつを助けてやってください」
 まだ半人前扱いするミサオに、レンは自分も向かうなどとは言えなかった。前回、彼女の忠告を無視して、ユウリをあんな目に合わせてしまったのだ。レベル5であるミサオが出撃したのなら彼女に任せて、自分は足手まといにならない様、待機しておこう。
 そう思ったレンだったが、ミサオが意外な言葉を投げかける。
「まぁ、あれだ。謹慎中とはいえ、今は非常事態……。不本意だがお前も自分のスパイダーを手に入れちまったわけだ。ここから先、どう行動するかはお前の判断に任せる!」
 思いがけないその言葉にレンは戸惑いを見せた。また失敗するかもしれないという不安が頭をよぎったのだ。
 そんなレンを後押しするかのように、ディスプレイ上にもう1つ窓枠が出現すると車イスに乗ったままスパイダーに搭乗した少女の映像が映し出された。
「らしくないよ。なに躊躇してんのよっ! 早くハルカを助けに行きなさい。もしもあの子を助けられずにノコノコ帰ってきやがったら、私がそのケツ蹴り上げてやるわよっ」
 恐らく修理されたアマテラスの中から通信しているのだろう。ウィンクしながらそう言ったのはユウリだった。
「プロは同じミスをしないもんよ? アンタももうプロのスパイダー乗りでしょうがっ」
「ユウリ……」
 レンはディスプレイ上に映る少女を見つめたまま。決意を固める。
「で。どうするんだ? 早くしないと追いつけなくなるぞ」
 シビレを切らしたミサオは前方の標的を見据えているのだろう。こちらには視線を向けずに尋ねてくる。
「はいっ。コードネーム『オーディーン』今から出撃します」
 レンのその言葉と同時に白銀の一閃が、夜空を斬り割いていった。

 百階層の通気ダクトから先を進んだところに4機のスパイダーがいた。
「つーか。うちらこんなところにいて、まずくない?」
「本部が襲撃を受けたらしいぜ」
「そのようだな。だからといってこっちの任務を放棄して良い理由にはならねぇ。あっちにはミサオがいるんだ」
 先頭を行くムラマサは歩みを止めて彼らに警告する。
「もうじき目的のポイントだ。だが、ここから先は地盤が緩んでるかもしれねぇ。足元に気をつけろよ」
 彼らの足元下には、煌々と燃え盛るマグマが波立っていた。
「こっからあそこに落ちたら、さすがにひとたまりもありませんわね」
「スパイダーの中にいても汗が噴き出るし、こりゃあ早く帰ってプライベートプールで思う存分浮かびたいわっ」
 ヘレナとマツリはこの環境にうんざりした表情で愚痴をこぼす。
「どうでもいいけど……ムラマサ。あの先に見えるアレ。どうやって抜けるんだ?」
 青い髪が汗で額に張り付くのを気にしながらエノシが尋ねた。
 
 彼らの行く先には溶岩に激突して赤い飛沫があがっている。あれに触れるだけでも機体にダメージを負ってしまうだろう。
「決まってるだろう。躱していくんだよ。タイミングを見計らってなっ」
「うげ……パス。俺の機体じゃあ絶対躱せない……」
 エノシがそうぼやく。彼の機体は重量型の機体。パワーや破壊力に関しては一級だが、スピードでは他のスパイダーに劣る。
「まぁいいんじゃない? どうせサクラロイドがいるかどうかもわからないんだし。エノシは置いて行こうよ」
マツリの言葉に「じゃあ俺は来た意味がねぇんじゃねぇか」と愚痴る彼にムラマサが答える。
「万が一、敵があそこからやってきた場合に備えて、お前はここで待機だ。ここから先、1体も通すんじゃねぇぞ」
 背中のブーストを使用して機体を宙に浮き上がらせたムラマサは、マツリとヘレナに忠告する。
「ここから先は空中を浮遊していく。ブーストの燃料には気をつけておけよ」
 そう言った彼は躊躇することなく、目の前の溶岩と溶岩の間をすり抜けて行った。
「じゃあそういうことでぇ〜」
「エノシはお留守番ね」
 残りの2対も彼の後を追って行ってしまう。一人取り残されたエノシは少しでも涼しい場所を探して近くの岩影に機体を静止させた。
「ったく。こんなことなら俺がエデンに残っていれば良かったんだよ……」

 ミサオのパール・バーティーはぐんぐんと上昇を続けていた。現在は三十七階層辺りだろうか。前方を飛ぶ黒い機体が空けた穴を最短距離で進んだ彼女だったが、苛立ちは募るばかりだった。
「クソっ。すぐ目の前にいるっていうのに、これ以上差を詰められない。それ以前にくらいついてくのがやっとか……。ハルカを人質に取られている以上、ライフル系の攻撃はできねぇな」
 後続の彼女の部隊はもう肉眼では発見できない。彼らの機体ではミサオ達についていくことさえ敵わない。
「こりゃあ、まずいな。どっかであいつを足止めしないと……」
 パール・バーティーの右椀部からライフルを取り出すと、目の前の標的に向けて構える。そして2発の弾丸を撃ち放った。
 黒い機体の少し上の岩に命中すると、砕けた岩がその機体に降り注ぐ。機体の速度を緩め、緊急回避させた黒い機体に対し、初めてパール・バーティーが上に立った。
「さぁ鬼ごっこはおしまいだよ。ここから先は1メートルも上にはいかせやしないっ!」
 ミサオの視界に黒い機体の頭部を捉えている。ゆっくりとこちらを見上げたまま静止する相手に対し、ミサオはいつでも動ける万全の態勢を整えた。

「パール・バーティー絶対に逃がすなよ」

 ディスプレイ上に映り込む司令部の様子。彼女はそれには目もくれずに尋ねた。
「あの黒い機体……スパイダーにしか見えないんだが、あれもサクラロイドか?」
「おそらく。スパイダーとして登録されていない機体ですので……。敵の新型と思われます」
 ミサオの質問にオペレーターの女性が答えた。その後ろに立つ司令官のシンドウが付け加える。
「便宜上、あれをルシファーと名付ける」
「ルシファー、堕天使か……相変わらずアンタらのセンスを疑うわね」
 ミサオが毒づいたが、シンドウはそれに対しては答えず新たな質問をする。
「で。そのルシファーを君はどうやって撃破する? 奴の手には人質となったハルカ君がいるわけだが……」
 ミサオはにやりと不敵な笑みを浮かべると、目の前の標的に狙いを定める。
「なんでか知らないけど、あちらさんも手の中の人質を大事にしているようだし、片手相手なら肉弾戦勝負で余裕よっ」
 彼女はそう言うと、一気にパール・バーティーを相手にぶつけに行く。

 体当たりをしようと突っ込んでいった彼女の機体。しかし、ルシファーは機体を左右に揺らすと真横に移動した。
「なっ」
 不意を突かれる形となったミサオの横を黒い機体が通過する。その刹那。機体のコックピットに赤く光る両目の人影を捉えた。
 器用にパール・バーティーの脇下を通過したルシファーは、彼女をあざ笑うかのように上昇して逃げる。
「逃がさないわよっ」
 すかさず彼女も期待を180度反転させると、その後を追う。

 指令室では小さなざわめきが起きていた。
 あの黒い機体が先程見せたテクニックはスパイダー乗りでも特有の技だったからだ。完全制御されたサクラロイドに対抗するために編み出された独自のターン手法。
それも近接戦闘を得意とするレベル5に対してやってのけたという事実。あのまま攻撃されていれば、パール・バーティーは破壊されていたであろう。
 それは機体に乗っているミサオも同感であった。
「赤い瞳にあの技術……なるほどね。道理でハルカを連れ去ったわけだ。でも――」

 その光景を見たシンドウは口を零す。
「馬鹿な。あれほどの技術を持ったパイロットなど一人しか考えられない。最強のレベル5、不知羽――」
「リオンっ! てめぇがなんでアタシらを裏切るようなマネをしてんだよっ!!」
 ミサオは怒号のような叫び声を上げたが、縮まることのない距離に苛立つ。

 また同じことを繰り返しても通じるような相手ではないだろう。むしろ、これ以上相手を逃がすわけにはいかない。ミサオが知る人物があの機体のパイロットならば、なにがあってもハルカを守るに違いない。彼女という足枷がある今こそが、唯一のチャンス。

 ミサオは再びライフルを取り出すと狙いを定めた。今度は岩ではなく、ルシファー本体である。彼女がトリガーを引けば、あの機体にダメージを与えることができるだろう。しかし人質となったハルカもただでは済まない。
「っち。一か八か、やるしかねぇかっ」
 そう言ったミサオは、ディスプレイ上に映るレーダーに異常な速度で接近する別の機体の存在に気づいた。
 その機体はいつの間に出現したのか。彼女がそれに気づいた時には、すでにパール・バーティーの間横を過ぎ去っていくところだった。

 華奢な白銀の機体を揺らしながら、不規則な軌道で上昇するその機体。危なっかしくて見ていられなかったが、速度だけは間違えなく、パール・バーティーよりも前方を走るルシファーですら置いて行かれるほどだ。
「ふっ。ずいぶん遅かったじゃないか……レンっ」
「すみません……装備を外してたら時間がかかりました」
 ディスプレイに浮かび上がった少年はこちらに注視する余裕も無いのだろう。前方を見据えたまま答える。
 3体の機体は三十四階層を越え、前回ユウリ達が奪還した三十三階層に達する。前方から無数のサクラロイドの群れが出現するとさすがのミサオも肝を冷やしたが、レンのオーディーンは彼らには目もくれず、一心不乱に前方を行くルシファーを追いかけて行った。

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