1章17話

 訓練学校に戻ったレンは未だに実感がわかないでいた。あのユウリが阿羅神家の娘だったのだ。記憶を無くした彼女は自分が何を言われたのかいまいちピンときていない様子だったが、レンには思い当たる節はあった。確かに昔の彼女は今のような活発的な性格ではなく、おしとやかなお嬢様というキャラだったのだ。ただし、その頃の彼女とはあまり面識がないので深くは分からなかった。どこか良いところのお嬢さんなのだろうと漠然と思っていたが、その実、グラウンド・エデンの最高権力者の娘だったとは……。
 
 レンはガラス張りの長い廊下を呆然と歩いていると、彼に声を掛けてくる者がいた。薄汚れた白衣に身を纏ったメガネの女性。それがサクラだと気づくのに時間がかかった。
「レンちゃん。どこ行ってたのよ。はやく、君に見せたいものがあるんだよ」
「誰がレンちゃんだっ」
 それほど親しい間柄でもないというのに彼女は気さくな態度でそう言うと、レンの腕を引く。
「こっち、こっちっ」
 スラム街へ行き、もうぐったりだったレンは早くベッドで休みたかったが、彼女の強引な押しに負けると、そのままスパイダーを格納している場所へと連れて行かれる。

 まぁどうせ1週間の謹慎で訓練もなにもできないのだから、彼女のわがままに付き合うのも悪くない。それに彼女が何を見せたいのかも単純に気になった。
 案の定、彼女がドヤ顔で指さす先には一機のスパイダーが直立不動で整備されている。その機体はシールド状の装備を身に付けていた。銀色のボディーだからなのか、他のスパイダーよりも輝いて見える。
「なんですか? この機体。すごい格好いいですけど新型ですか?」
「何を言っているのかね。君の愛機、オーディーンだよ」
「こ、これがあの貧弱な機体?」
 レンは驚いて機体を指さした。以前彼が乗った時よりも数段見違えて見えたのだ。
「安全規定を超えるよう、装備をパワーアップさせたからね。と言っても、これは見せかけで、実際に戦場で戦うときは装備を外してもらうけど……」
「そこまでしてもスピードを重視するんですね」
 確かスピードを生かすために防御を捨てた機体。最弱・最速のオーディーンと言われていたはずだ、だが今装備されているのを取っ払ったくらいでそこまで格段に速度があがるようには思えなかった。
「もちろんだよ。『アクセル・ブースト』を搭載している機体は、世界にただ一つ。このオーディーンだけだからね。実際に体験して分かったと思うけど、『アクセル・ブースト』を使えば機体が損傷するんだ。結局どんな豪華な装備を付けても大破してゴミになるだけだからねぇ」
 レンはサクラの説明など二の次で、早く機体を動かしたくてウズウズしていた。それを見かねた彼女が釘を刺す。
「駄目だよ。レンちゃんは1週間の謹慎なんだから、その間にスパイダーに乗ったりなんてしちゃあ」
 サクラの忠告を無視して、少しくらいなら操縦しても構わないだろう。そう思ったレンに、彼女がダメ押しの釘を刺した。
「まぁもしも、レンちゃんがオーディーンに乗ったりなんてしたら、速攻でミサオさんに連絡がいくだろうね」
「ははっ。そんな馬鹿なマネ、するわけないじゃないですか」
「だよね」
 二人は互いに作り笑いになった。

 自室に戻ったレンを同室のタクマが呼び止める。
「よう。謹慎野郎っ。お前が休んだせいで俺ばっかりがミサ姉さんにしごかれて参ってんぜ。こりゃあ、お前との差が開いちまうなっ」
「うっ。嫌味な奴め。俺だって好きで謹慎してるわけじゃねぇよ」
「わかってる……」
 いつもひょうきんなタクマが真面目な顔になってレンに詰め寄ると、彼の胸倉を掴んで壁に押し付けた。一回り体格の大きなタクマの腕力で押し付けられたレンは苦しそうに顔をしかめる。
「てめぇ、今度俺をのけ者にしたら只じゃ済まねぇぞ。俺だってユウリやお前の友達なんだぞっ!」
 彼が怒っている理由を理解したレンは、首を縦に振って頷く。
「わ、わかったよ。今回のことは俺が悪かった。次、無茶する時はお前も誘うから……」
「それなら良し。で、レイア先輩はどうだった?」
 解放されたレンは自分の喉を押さえると、せき込んだ。
「単に俺がレイア先輩と一緒だったから起こったのかよっ」

「ちげぇよ。それとレイア先輩は別問題だ」
 なにが別問題なのかよくわからなかったが、彼に今日会った出来事を語る。あいかわらずタクマは分かりやすい性格だ。レイア先輩の話になると目を輝かせていた。
「やっぱあの人はどんな状況になっても冷静なんだな。マジ憧れるわっ」
 確かに彼女は勇敢だったかもしれないが、そもそも彼女の行動理由はユウリを見捨てて逃げた自分が許せないということだった。そんなことをこの男に言えば、彼の中にいる理想のレイア先輩像が壊れてしまうだろう。
 その話は彼の内に留めておくことにした。

 しつこくレンに話を聴いた後、彼は満足したのかベッドでいびきをかいて眠っている。ようやく解放されたレンは暗くなった部屋で、一人考え事をしていた。
「ユウリがあんな体になっちまったのは、俺の所為。だよな……」
 成績優秀。秀でた戦闘能力を持っているルーキーとして話題だったユウリ。レベル3にして遠距離型最高性能と言われていたアマテラスのパイロットとして抜擢された彼女は、将来有望な兵士だったはずだ。おそらく、グラウンド・エデンにおいて、彼女の早期引退はかなりの痛手となるだろう。
 あれほどの逸材は、今後先にもなかなか出てこない。そうまで言わせしめた彼女を失墜させた責任を彼がどうとれば良いのか分からずにいた。
 おまけに阿羅神家の娘。本来なら死罪に処されても文句は言えない。
「そうだよな。ユウリが庇ってくれるかもしれないが、普通に考えれば俺はクビ……だよな」
 レンはそこまで考えた後で、自分の機体を思い出していた。
 最速・最弱の機体、オーディーン。整備されたあの機体に乗ったレンが彼女の代わりとなれるだろうか。最新装備のアマテラスに比べ、レンの愛機はスピードが速いだけの貧相な機体。彼女の代わりに等、到底思えない。

「駄目だ。眠れねぇ……」
 レンはベッドから起き上がると、同室のタクマを起こさないように静かに部屋を出た。
「しかし、タクマの野郎。本気で怒ってたな」
 レンは廊下を歩きながら先程のタクマを思い出す。スパイダーならともかく、単純な腕力ではあいつに敵わないだろう。
 レンがそんなことを考えていると、うしろから声が掛けられた。
「レン君も眠れないの?」
「? ……ああ。ハルカか……そうか、お前も謹慎処分だったな」
 レン同様、司官候補生であるハルカもまた1週間の謹慎処分を受けていた。そうでなければ、朝早くから訓練のある生徒がこんな夜中に起きているというのは珍しいのだ。

 レンとハルカは近くにあったベンチに座ると全面ガラス張りの窓から見上げる偽物の夜空を見上げた。
「お家柄、お前が謹慎処分を喰らうなんて思わなかったよ……」
「いえ、お父様がスラム街へ出向いたことを怒ってまして。それで謹慎処分になったんです。それに、兄のこともありますし……」
 レンはユウリ達を救出した後に知ったことだったが、彼女の兄であるリオンが戦死したというのだ。当然、妹であるハルカの動揺は自分の比ではないだろうと思ったのだが……。彼女は至って冷静だ。むしろ、自分の兄よりもユウリの見舞いに来ていたほどに。
「リオンさんの告別式はいつやるんだ?」
「もう、身内だけで済ませました。遺体も無かったですし、簡素なものでしたよ。だからですかね……あまり実感が湧かないんです」
 英雄と言われた兵士のあっけない死に納得がいかないのも無理はない。

「スパイダー乗りってそんなもんなのかもな。いつでも死と隣り合わせ。作戦を成功している分には英雄扱いだが、死んじまえば誰からも見向きもされない……」
「私は、スパイダー乗りが羨ましいです」
 レンが感傷的になると、ハルカは意外な言葉を投げかけてきた。
「え?」
「だってそうじゃないですか。スパイダー乗りなら兄を殺したあのサクラロイドをこの手で殺せるんですから。私達、司令官は安全な場所から指示を出しているだけ……。ユウリさんの時だって、助けに行くこともそれを指示することだってできなかった……」
 ハルカは内なる怒りを必死でこらえているのだろう。普段なら絶対に口にしないような「殺す」という言葉を使っていた。彼女の話の全てを理解できたわけではないが、司令官というのもレン達が思う程楽ではないようだ。

 レンは急にベンチから起き上がると、ハルカを見下ろして言う。
「なぁ、謹慎中の不良お嬢様。もう一つ、悪いことしないか?」
「?」
 悪戯な目をしたレンに彼女は首を傾げたが、すぐに頷いた。
「いいですよ。どこに行くんですか?」
 歩き出したレンの隣にハルカもついてきた。

 上下に激しく揺れる度、ハルカがレンにしがみついてきた。
「ちょっと。レン君……足元気をつけてっ」
「あっぶねぇ。こんなところに車なんて置きやがって、踏んじまっても知らねぇぞ」
 今レンとハルカは訓練学校の一つ上の階層に来ていた。このフロアは全面をスパイダーの練習用として開設されている。レベル3以上から与えられる本物のスパイダーを使用しての実戦訓練の場所なのだ。
 とはいっても、こんな夜中にスパイダーの訓練をすることは認められていない。ましてや、謹慎処分中の彼ら。上官に見つかれば怒られるだろう。
 幸い、辺りには人影一つ見当たらない。おそらく、このフロアにいるのはレンとハルカの二人だけのようだ。
 
 勢いよくブーストを加速させたオーディーンは上空へと飛び上がる。その風圧で停車していた車が上下に揺れ、建物の窓ガラスがビリビリと音を立てた。
「す、すごい。空があんなに近くに」
「まぁ、偽物の空だけどな。ほら、もうじき天井が見えてくる……」
「もう、ムードのない台詞を言わないでくださいよ。台無しじゃないですかっ」
 後部座席に座ったハルカが、そのまま前に座るレンの肩を叩いた。ディスプレイに広がる先には漆黒の闇に浮かぶ無数の星空。

 機体を静止させたレンは、ゆっくりと回りを旋回させる。
「さぁ、不良お嬢様。どこに行きたい?」
「そうね、あっちのほうが観に行きたくてよっ」
「承知しました」
 レンはそう言うと、ハルカが指さした方向へと軌道を修正した。

 丁度その頃、司令本部は大騒ぎとなっていた。通常ならば夜中にスパイ―ダーを動かしただけでもすぐに彼らに連絡がいくようになっていたのだが、今夜はそれどころではなかった。
 彼らが向ける視線の先には、真っ赤な文字で危機を知らせるアラートが浮かび上がっている。
「そんな……たった1機によって三十四階層の部隊が全滅させられた……」
「ミサオ隊長の消息は?」
「彼女なら訓練学校に戻って来てますよ」
「だったら早く彼女を叩き起こせっ」
 オペレーターの女性を怒鳴った司令官は深くため息をついた。彼の隣に歩み寄ってきた別の司令官が彼に言う。
「シンドウ。レベル5を欠いている今のグラウンド・エデンにおいて、この危機を救える手立てはあるのか?」
「曾木司令。君の階級では私に指図などできないはずだが? まぁいい。あの謎の機体はパール・バーティー1機で十分だよっ」
「それまでに、あの機体がここまで来ないことを祈るしかないですね……」
 曾木とシンドウは1つのディスプレイに映る黒い機体を見つめていた。

「なるほど。大体状況は分かった」
 パール・バーティーに搭乗したミサオはディスプレイに視線を向けたまま、現状を確認していた。
「私の部隊の半分を殲滅させるとは……」
「隊長。はやく、行きましょう。これはあいつらの弔い合戦ですぜっ」
「焦るな。あいつらは正面からやってやられたんだろう。……悔しいが、向こうの機体の方が性能は上だ。おまけに、あれがサクラロイドの新型だとすれば、こちらにとって最悪の事態も想定しておかないとな……」
 ミサオは冷静に状況を把握していたが、内心は穏やかではなかった。苦楽を共にした仲間がやられたのだ。平静でいられるはずもない。
「ミサオ君。分かっていると思うが、現状でレベル5は君だけしかいない。君の戦力がそのままグラウンド・エデンの総力だと言ってもいい」
「シンドウ司令。ご期待に応えられるよう尽力はつくしますが、勘違いしないでいただきたい。レベル5がエデンの総力ではなく。それを支える全ての人間がエデンの力、なんですよ」
 ミサオの瞳が青色に変色するのを確認したシンドウは「そうだったな」と彼女の意見に賛同する。

「うひゃあ、やばいぜ! 体調の目が蒼になった時はマジになったってことだ。あの黒い機体、粉々になるまで破壊し尽くされるぜっ」
 隊の仲間のジョーダンに答えないミサオは、ディスプレイに映った司令官に尋ねる。
「それで? 今、標的はどこに?」
「38階層を越えて……まずいな。もうじきこの上のフロアにたどり着いてしまう。急いでくれっ」
 この一つ上のフロアということはスパイダーの訓練用施設ということか。今まで多くのサクラロイドから襲撃を受けてきたグラウンド・エデンだったが、ここまで侵略を許したのは初めてだ。
 ミサオは緊張気味の表情になるとマップを表示させる。
「あの機体は何が目的なんだ……ん? だれか訓練施設にいるようだが……。なっ。あれはレンの機体っ!」
 ミサオはわなわなと体を震わせる。その眉間から血管が浮き上がるのを確認した隊の仲間から笑みが消える。
「あのバカやろう。なにフザけたマネしていやがるっ!」

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