1章15話

 突然目の前に現れた男は短い金髪の青年。ハーフなのだろうか。鼻筋の通った顔立ちに青色の瞳が印象的だった。ただその眼光は失い、死んだ魚のような目になっている。
 年齢的にはレンと同じくらいだろうか。だが、明らかに彼とは別世界の住人のようだった。
「待てっ。撃つな」
 レンは両腕を挙げると、後ろで眠るハルカを庇う様に相手との間に立つ。
「お前等、ずいぶん若いが軍人か?」
「ああ。行方不明になった兵士を捜索しに来た。君らに危害を加えるつもりはないよ。すぐに出て行くから――」
「危害を加えない……か。そいつは信用ならねぇな。スパイダー乗りは足元なんか確かめもせずに容赦なく暴れまくるし。おまけにあいつらを連れてきやがった」
 その青年は頭上をチラ見する。彼らの頭上では絶えず地響きが聴こえていた。先程のサクラロイドが歩き回っているのだろう。
「あのサクラロイドにネグラをめちゃくちゃにされた挙句、仲間をみんな殺されちまった。それもこれもみんなお前等軍人が悪いん――っ」
 突然青年は白目になると地面に崩れ落ちる。その後ろにはレイアが手にした銃の向きを逆さにしている。どうやらそれでこの青年の後頭部を殴打したようだ。
「勝手なことばっかり言って。私らはね、この世界をあいつらから取り戻すために必死に闘ってんのよっ」
 レイアは少年の手から零れ落ちた銃を足でレンの方に蹴り飛ばす。レンはすぐさまその銃を手にして構えた。
「うっ。ふざけるなっ。俺達のような奴らからすれば、アンタらもあのサクラロイドも大して買わんねぇンだよ! 殺すなら、殺せっ」
「はぁ。俺らがあの機械と同じだってさ。……行けよ。俺らにちょっかいを出してこないなら見逃してやる」
 青年は恨めしそうにこちらを睨んだが、起き上がる気配がない。一刻も早く、ハルカの容態を確認したいのだが。

「殺せ……もうどこにも行く場所がないんだ」
「?」
「俺達にも階級みたいなもんがあるんだよ。下に行けば行くほどに強いやつらがいる。……俺達はここまで逃げてきたんだ。でももうこれ以上、上はねぇ。仲間もいなくなっちまったしな……」
 力なく横たわる青年をレンは哀れに思う。
「アンタには同情するよ。でもな、俺達も人探しに来たんだ。これ以上厄介ごとに関わりたくはない――」
「動かないでっ!」
 レンは思わず後ろを振り返った。もしこれが凶悪な奴ならこの時点で躊躇なくハルカを襲っていたであろう。眠ったハルカの喉元に斧が向けられていた。それを手にしていたのは青年と同じ青色の瞳の女性だ。
「クリス。逃げましょう」
「姉さん。来ちゃダメだって言ったろ……」
 女性は青年の姉のようだ。だが、先程青年は仲間を失ったと言っていたはず。この女性を庇うための嘘だったのか。

 レイアはすぐに跪く青年の銀色の髪を掴みあげるとこめかみに銃口を当てる。
「その娘を離してもらおうか。私は軍人だ。大事な弟の頭部を吹き飛ばされたくなければな」
 レイアとその女性はしばらくの間睨み合う。よくよく考えれば、レイアにも外国の血が流れている。彼女のエメラルドグリーンの透き通った瞳を見た女性は手にした斧を頬り投げた。
「姉さんっ――頼む。姉だけは、見逃してくださいっ」
 レイアに縋り付くように頭を下げる青年。それは嘘偽りの無い本心だろう。
「はぁ。私たちは悪人じゃないのよ? 危害を加える気がないなら、どっかへ行ってと言ってるでしょう」
 青年の髪を離したレイアは、銃をポケットに仕舞う。それを見た青年は安堵したのか、力なく座り込んだ。

「あの……この娘、怪我をしているようですけど」
「ああ。上で暴れてる奴にやられちゃってね」
「よろしければ、私が手当して差し上げましょうか? 私、地上では看護師をしていたので……といっても、ここでは満足な治療はできませんけど」
 レンは少し躊躇していた。確かに治療してくれるのはありがたいが、今さっきまで彼女に危害を加える素振りをしていた女性だ。すぐに信用できるわけはない。しかし、レイアは違っていた。
「それは助かりますわ。……でも、もし妙なマネをすれば、ためらいなく撃ちますからっ」
 彼女は笑顔と脅しを同時に使い分ける。それに対し、女性は申し訳なさそうに頷いた。
「すみませんでした、うちの弟がご迷惑をおかけしまして。私はアイリーン・ハルベルトともうします。そこの弟がクリスです」
「そういえば、姉さん。この人たち、兵士を探しに来たらしい」
「そうなの? もしかして、私達が看病しているあの女性のことかしらっ」
 レンはアイリーンが言った一言で目を見開くと、彼女の両手を掴んだ。女性の美しい藍色の瞳に自分の姿が映り込むと、思わず掴んだ手を離す。
「いや。……その女性。黒い髪にピンクのひもで髪を結ってたりしませんか?」
「ええ。そうですっ」
「やったぁ。ユウリね、きっと」
 レイアが今までの作り笑いと違い、満面の笑みで飛び上がった。レンは「ありがとうございます」というと、彼女の無事を心から喜んだ。

 ユウリが治療を受けているという場所まで案内してもらう3人。レンは眠るハルカを背中におぶりながら、ゆっくりとした歩調で歩いていた。

 もうすぐ、あいつに会える。でも、俺はなんて言ったらいいのだろうか。

 レンは空中を舞う彼女が、自分の手と一緒に落ちていった記憶を鮮明に思い出していた。覚悟はしていたが、アイリーンからユウリは重体であることを聴かされたレンは、そればかりが気がかりで足取りが重く感じられた。
「彼女が生きていられたのは、彼女を包み込むように握っていたロボットの手のおかげよ。あれがクッションになっていなければ、彼女は即死だったはず」
 アイリーンがレンを励ましてくれたが、それでも深刻な状況だと告げられる。
「無事に決まってますよ。レン君が守ってくれたんですもんっ」
 突然自分の背中から声が聴こえると、レンは背中におぶるハルカに目をやった。
「なんだよ。いつから起きてたんだ」
「えへっ」
 ハルカは悪戯な瞳で舌を出しながら笑ってみせる。「本当に……ユウリさん。無事でよかったですね」と言った彼女にレンは力強く頷いた。

 レン達が案内された場所は空洞の最深部だった。そこに煙があがっている。電気が通ってないためか、木の根を千切って作ったたき火が用意されている。その炎の暖かな光に照らされ眠る少女の横顔が目に入った。
「ユウリっ」
 レンが大声で叫んだが、彼女は目を覚まさない。
「駄目ですよ。彼女はまだ意識が戻っていません。こんな場所でなければ、もう少し処置もできたのですが……」
 彼女の下に敷いてあるのも木の根を千切って作ったベッドである。地面に直接寝かされるよりはましだっただろうが、それでも快適とは程遠い。
「すぐに施設で看てもらった方がよさそうですね」
 レイアはそう言うとユウナの額に手をやる。彼女の顔は傷一つなかった。オーディーンの手がクッションの役割を担ったおかげで外傷は負っていないようだ。
「そうだな。あのジープが動かせるか確認して、すぐに戻ろう」
「あのサクラロイドが外にいるってのに、どうやってここを出るんだ?」
 元来た道に戻ろうとするレンにクリスが尋ねる。確かにそうだ。あのサクラロイドは今も頭上で暴れているようで、ひっきりなしに轟音が聴こえている。
「だからといって、いつまでもここにいるわけにはいかない。一刻も早く、ユウリを施設で看てもらわないと……」
「今日はもう遅いですわ。明日にしてはいかがでしょう?」
 アイリーンがそう提案してくれたが、レンはいてもたってもいられない。ジープが動かなければ、おぶってでも連れて帰るつもりだった。
「せいては事を仕損じますわよ? 明日になれば、上にいるサクラロイドも諦めてどこかに行くかもしれませんし。あれに気づいたミサオさん達が討伐にやってくるかもしれません」
 レイアもアイリーンの提案に乗ると、レンをなだめる。彼からすれば、自分のミスで苦しむユウリをこのままにしておきたくはなかったが、確かに今はどうすることもできない。

 ユウリを含めた六人は焚火を囲んでいた。このまま今日はみんなで眠ることになったのだ。先程ジープを確認してきたところ、リア部分が大破していたが後ろから激突したことが幸いしてエンジンに問題はないようだ。明日にでもここを脱出することを約束されたレンは今日のところはここで厄介になることにした。
「クリスさんたちもハーフなんですね。レイアさんもですよね?」
 ハルカがそう言ってレイアの方に顔を向ける。「まぁ……ね」と彼女は恥ずかしそうにしていた。
「私達の母親が外国人だったの。父は日本人だったそうだけど、顔も知らないの。地上では母と3人で暮らしていたのよ」
 焚火の明かりでアイリーンの堀深い顔にうっすらと影が入る。
「貧しかった私達はグラウンド・エデンに入ることを許されなかった。というよりも住む場所を手に入れるだけのお金がなかったの。私達兄弟だけなら、住んでもいいと言って下さる方もいたのですけどね。私達は母と一緒にスラム街へ出たわ……。そして、ハーフである私達はスラム街で迫害にあったの」
「母さんはあいつらに。いや、グラウンド・エデンそのものに殺されたんだ」
 アイリーンの話に、クリスが履き捨てるように答えた。レンもユウリも身寄りがなかったが、彼らを保護してくれる団体が存在した。クリスとアイリーンだけならよかったのだが、年配の母親にまで団体は貴重な資金を割くことができなかったようだ。
「うっうっ……お二人とも、苦労なされたのですね」
 ハルカが泣きながら二人を不憫そうに言う。グラウンド・エデンの資産制度、つまり一定の収入がなかった人間は切り捨てるという考え方を打ち出したのは、きっと彼女の父親たち「十二家」だろう。それを知ってか知らずか。
「大丈夫です。お二人のエデンでも生活は私が保証します」
 勝手にそう決めたハルカは胸を張って答えた。
「え。でも……」
「俺達みたいな流れ者が今さらあそこに行っても受け入れられるとは到底思えねぇよ」
 アイリーンもクリスも彼女の提案に渋っていた。そこでレイアが進言する。
「大丈夫です。軍事学校なら……私達のように兵士になればいいんですよ。常に人が足りていない状況ですし……」
 たしかにスパイダー乗りはいつだって人手が足りていない。今でも軍法会議で訓練学校への入学可能年齢を引き下げようという動きがあるほど。
「姉さんは十九。俺は十七だけど入れるのか?」
「十七って、俺と同い年かよっ! もちろんだ」
「アイリーンさんは看護師として即戦力になれるかも……」
「じゃあ、決まりだ。二人とも、グラウンド・エデンに来いよっ」
 アイリーンとクリスは互いに顔を見合わせ、少し悩んだ後で頷いた。
「俺、地下の人間を勘違いしてた。お前等みたいなまともな人間もいるんだって初めて知ったよ」

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