1章12話

「うあああぁっ」
 ユウリは叫び声を上げながらコックピットから飛び出すと大地に飛び降りた。彼女の頭上で、サクラロイドの爪がアマテラスのボディーを貫いたところである。さっきまで自分があそこにいたのかと思うとゾッとしたが、今はそれどころではない。

 自分の愛機に群がるサクラロイド達の足元を必死に走るユウリ足場の悪い地面を駆け抜けたユウリは斜面を滑り降りた。少しでも隠れる場所がないかと探すが、残念ながらここは起伏の激しい荒れた土地、木1本すら生えていない。
「まずい、まずい、まずい……」
 必死に全力疾走する彼女に1体のサクラロイドが気づいてしまう。その一体は群れから孤立すると、真っ直ぐユウリに向かって歩いてきた。
「はぁっはぁっ……あそこに穴がある。たぶんあれはサクラロイドの攻撃で地面に空いたものだよね」
 彼女が目指す先にはぽっかりと空いた穴。ユウリとその距離は300メートル程か。しかしその穴の深さは分からない。たとえ1つ下の階層に落ちたとしても無事では済まないだろう。それが何階層下まで続いているのかもわからないのだ。
 どちらにせよ。危機はすぐ後ろに迫っている。穴に落ちてもサクラロイドに捕まっても彼女は死ぬだろう。
「ミっサオさんっ早く来てっ」
 ユウリは走りながら叫んだが、助けは来ない。
 穴まであと百メートル。その奥は暗く、どうなっているのかも検討がつかない。だが、彼女がそれを気にする必要はなかった。
 もうすぐ後ろにサクラロイドが迫っていたのだ。
「っ」
 彼女は急に進行方向とは別方向に飛びあがった。すぐにサクラロイドの鋭い爪が地面に突き刺さる。それだけで彼女の先程いた場所にクレーターが出来上がった。
 ユウリが力なく地面に膝をつくと、サクラロイドはゆっくりとした動作で爪の先端をこちらに向けてくる。そして、その爪がぱっくりと開くと、銃口のようなものが覗いた。
「もう……だめ……」

 レンはゆっくりと上昇するパネルに機体を待機させていた。機体倉庫から出た銀色の機体はそのまま上階層に移動するため、上昇ポイントにやってきたのだ。
「遅すぎる。こんなの待ってらんねぇよ。ブースターで一気に上まで飛ぶしかないか」
 我慢しきれず、レンのオーディーンが唸りを挙げて空中に飛び出した。
 すぐさま手元のディスプレイを操作すると、この機体の持つ装備を確認していた。
「えっと。装備はブラスターとブレード……ってこれだけかよっ! これじゃあ、訓練生の機体とおんなじじゃねぇか」
 レンは画面上に表示された2つの装備のほかに見たことも無いボタンが存在することに気づく。赤いネオンライトで浮かび上がったそのボタンは≪ACCEL BOOST≫と書かれていた。
「アクセル・ブースト? なんかよくわからんが、はやそうだっ」
 レンはさっそくそのボタンに指を掛けようとしたその時、どこからか女性の声が割って入った。
「わぁっ。なにやってるんですか。そのボタンは押しちゃだめですよ」
「? えっと……誰」
「それはこっちのセリフです。あなた、張り紙を見なかったんですか?」
「張り紙ってこの機体に一杯ついてるやつのことか?」
 レンは機体の腕に着いた白い紙切れを見ながら言った。
「それは永久凍結と書いてあるんですよぉ。もう。って……うそぉー。神経レベル79%って」
 この女性はどうしてこんなにテンションが高いのだろう。申し訳ないが、今はそれどころではない。彼女のテンションに合わせる気力も余裕もないのだ。
「悪いけど。これから戦場に出るから……ちょっとだけお借りします」
「何言ってんですか。それよりもあなたは自分のセンスにお気づきなんですか? その機体は性能が高すぎて神経レベル50%を超えるだけでもすごいのに……」
「くっ。だから79%しかでなかったのかよ。さてはそれが理由でお蔵入りになったんだな」
「『しか』じゃなくて『も』ですよ。それが理由じゃないんです。せっかく作ったのにその機体。安全規格を大幅に下回っていて、実践には使えなかったんです」
「へ? 安全規格?」
「はい。ボディの強度によってダメージを軽減することができるのですが、その規格を安全規格といいましてね。その機体は規格外なんです。つまりサクラロイドの攻撃に耐えられない……」
 それを聴いたレンは思わず上昇するのをやめ、その場に留まると彼女に尋ねた。
「つまり、相手の攻撃を受けたら死ぬと?」
「当たり方にもよりますけどね。ただ、その分スピードは破格です。基本速度も最速。そして先程あなたが押そうとしたアクセル・ブーストを使用すれば、何ものも寄せ付けない速さで動くことができます。まぁその速度についていけるパイロットはいないんですけどねっ」
 自信満々にそういった彼女にレンはこともなげに言い返す。
「なんだ。だったら大丈夫だ。俺なら乗りこなせる」
「ちょっと。冗談じゃないですよ。すぐに引き返してくださいっ」
「悪いな。俺はもう引き返せないところまで来てるんだ」
 そう言って機体を上方向に進めるレンにその女性は冷静に答える。
「いいですか。オーディーンは最速・最弱の機体なんです。その最大スピード下であなたが操縦できるというのならそれは最強……つまりレベル5以上ということですよ?」
「ユウリが待ってるんだ……あいつを助けられるならレベル5だろうが、6だろうがなんだってなってやるよっ」
 レンはそう言うとアクセル・ブーストボタンを押してしまう。すぐさま画面上に赤く表示されたアラートと使用するためのコマンドが表示される。
「なになに……体を前傾姿勢にして『アクセル・ブースト』と叫ぶ。ってそんな恥ずかしいことできるかっ」
 彼がそう叫んだが、すぐさま強い衝撃が彼を襲う。周りの景色が一瞬で消し去った。
 次の瞬間、機体が急停止したことでレンの体が仰け反る。
「がぁっ」
「だから言わんこっちゃないですよ。機体がボロボロじゃないですか」
 僅か数百メートルの疾走だったが、レンはあまりの速さにその間の記憶がない。意識朦朧としながらも、なんとか壁に激突しないで済んだのは単に運が良かったのか、彼の能力によるものなのかはわからなかった。
「なぁ。なんでどこにもぶつけてないのに機体がボロボロなんだ……」
 先程まで新品同様だった銀色のボディーに無数の細かな切り傷が入っていることに気づく。
「ええ。あまりの速さで風が邪魔してしまうんです。エアーウェーブ。それを使うには空気の流れを感じながら最小限のダメージで済むように飛ばないと――」
「無茶言うなっ」
「大丈夫です。風の流れを見るスコープがあるのでっ」
 女性がそう言うと視界に薄く緑の年輪状の線が入る。これが風の流れだというのだろうか。こんなの見せられてもレンにはどうしようもない。
「その線と線の間隔の少ないところなら風の影響が少ないです。そのブーストは諸刃の剣。使える場所も距離も限られてるんです。でもその感覚を掴めば、最強ですよ?」
 これは実践ではあまり使いたくないな。レンは苦笑いになると、視界の先で聴こえてくる銃撃戦の音で全身に緊張が走った。
「残念ながら、おしゃべりはここまでの様だ。ちなみに、アンタは誰なんだ?俺はレン」
「その機体の製造者にして君の専属美人オペレーター、サクラ・アンナと申します」
 こいつ、自分で美人とか言ったぞ。レンは聴かなかったことにしようとしたが、
「サ、サクラだってぇ?」
 その姓を聴いて思わず叫んだ。それとは関係なしに彼の機体はついに戦場へと辿り着いてしまった。

 ユウリの前に立ったサクラロイドは、ぱっくりと開いた右手から出現した銃口を彼女に向けたまま動くことはなかった。自分に向けられた死への引き金が一向に引かれないことに気づいたユウリは恐る恐る両目を開く。目の前にある冷徹なサクラロイドの顔と思われる部分は彼女とは全然別の方向に向けられている。ユウリがそちらに振り向いたその時、彼女の体は弾力のある大きな何かに持っていかれた。
「っ」

 凄まじい速さで動くそれに必死にしがみつく彼女は、それがスパイダーの右手だということに気づく。
「ミ、ミサオさんっ……じゃない」
 彼女は尊敬する先輩が助けに来てくれたのだと喜んで声に出したが、そこにあるのは全然別の機体だった。
 一瞬、訓練機かと思うほど華奢なボディーだが、それにしては銀色で塗装されている。あまり飾りっ気のないその機体は、機能的でシャープな印象を与えた。
「誰……」
「おっと、すまない」
 そう言って彼女を気遣うように右手の平を水平にし、風を遮るように左手で彼女を覆ったその機体は聞き覚えのある声だった。
「あ、あんた。レンなの?」
「ミサオさんじゃなくて悪かったな」
 そんなわけはない。それは今彼女が最も会いたかった人物の声だった。彼女は安堵し涙が零れる。
「なにおまえ泣いてんだよ。さてはビビってたんだろっ」
「違っ。……あんたに助けられるようになるなんて、そう思うと情けなくて涙が出たのよっ」
「そうかよ。だがそれは無事にここから脱出できてからにしてくれっ」
 レンは手に乗せた彼女を傷つけない様、細心の注意を払いながら上空に舞い上がる。
「どこに行く気? 上に逃げてもしょうがないでしょ?」
「うっせぇな。分かってるよ。でもあのサクラロイドから逃げながら元のポイントに戻るにはこうするしかねぇんだよっ」
 らせん状に雲を残しながら上昇する銀色の機体。その後方からは5体のサクラロイドが追いかけてきている。
「っち。大した武器もねぇし……このまま逃げ切るしかねぇよな」
 そうつぶやいたレンの画面左上に通信を現すアラートが表示された。
「そっちは援軍か? すまない。その少女を連れて――なっ。レンっ!」
「げっ」
 思わず反射的にその通信を繋いでしまったレンはディスプレイに表示されたミサオに度肝を抜かれた。
「きさま、後でコロスっ! だがとりあえずユウリを連れて逃げろ。無事に帰ったら、ブン殴ってからキスをしてやるっ」
「ど、どっちも嫌なんですけどぉ」
 頭を抱えたかったが、パイロットとシンクロしているスパイダー。彼は右手に彼女がいる事を忘れていなかった。

「B−27だ」
「?」
「っち。シロウトがっ。脱出経路を確保しておくのが一人前なんだよっ! そこに下階層へ降りられるポイントがある。下の階を守る部隊がいるはずだ。」
 なるほど、彼女は最初から脱出することのできるポイントをすべて把握しているのだそうだ。ミサオに助けに行かなくて大丈夫かと聞こうとしたレンだったが、すぐに必要が無いと分かる。
 B−27ポイントならそれほど離れていない。各階層の縦軸をA〜Z。横軸を1から順に数えたマス目上をポイントと呼んでいる。今レン達がいる位置はC―13だった。
「うおおおおっ」
 レンは雄叫びをあげると、そのまま真っ直ぐポイントに向かって下降を始める。そのすぐ後ろにサクラロイド達が迫ってくるのを感じたが、ユウリの事を思うとこれ以上は加速できない。

 目的地であるB−27ポイントが間近に迫ってきていた。レンがその場所を視認できる距離まで近づくと、岩岩の間に隠れるように平らな平地があった。
 明らかにそこだけ人工的な金属製の扉があり、Lとペイントがされていた。
「ちくしょう。あれをなんとかしてぶち抜かないとっ」
 レンはディスプレイ上からウェポンを探す。といってもあるのはクラスターとブレードしかない。
「サクラさん。見てるんでしょ? こういう時はどうすればいい?」
「はいはい。ごめんなさい。寝てましたっ」
「この非常時に寝てんじゃねぇよ! 時間がねぇ。こういう時はクラスターだよなっ」
「ああ。駄目です。そのクラスターは特別性で、見た目は訓練生のものと同じですけど威力は――」「頼むから、早くしてくれっ」
「クラスターです。それでいいのですが、弾丸の飛距離が短いのでギリギリまで接近してくださいっ」
 シビレを切らしたレンはユウリの風を遮る為に置いた左手を動かすと、腰に装備されたハンドガンタイプのクラスターを掴み取った。ユウリの長い髪が風で舞い上がるのを横目にディスプレイに表示された照準で狙いを定める。
「ギリギリってどれくらいだよ。こっちは片手に人乗せてんだ。壊れた破片が飛んできたりしねぇだろうなっ」
「粉々になるので破片は大丈夫だと思います。むしろ下に誰かいないか確認した方がいいくらいです。ただ反動で彼女、吹っ飛びます」
「おいっ」
 レンは苛立つと、オペレーターに噛みついた。
「すみません、すみません。やっぱブレードで叩切ってください。あ、間に合わないっ」
「ぬああああああああああっ」
 すぐ目の前に迫った扉に対し、レンは勢いを殺しきれずに叫んだっ。こうなればもう破れかぶれだ。そのまま突っ切るしかない。
 腰を曲げ、右手を自機の後ろに回したオーディーンは、左肩から壁に突っ込もうとする。

 がしかし、突如として目の前の扉がこちらに向かって膨れ上がると、そのまま爆発する。
「?」
 そこから何かが飛び出してきたかと思うと、そのままオーディーンに激突する。激しい衝撃で機体がくるくると回転する。それと同時になにかのアラート音がけたたましく鳴り響いた。
「な、なんだぁ?」
 バランスを崩した自機を何とか保ったレンは、飛んできたそれを凝視する。後続のサクラロイドに激突して止まったそれは一機のスパイダーだった。橙色の派手な機体はコックピットのある頭部がもぎ取られている。
 
「くっ」
 レンは短く息を吐いた。激突でボロボロになった左肩ではなく、右腕に強い痛みが走ったからだ。
 彼がそちらに視線を向けるのと、黒い機体がオーディーンの横を過ぎ去るのは同時だった。一瞬の出来事だったが、コックピットに人影が写るのが見えた。さらにその機体がレンのすぐ後ろに迫っていた残りのサクラロイドを一掃する。
「人? ってことはスパイダーっ」
 新たに激突してきた機体に注意を逸らされたが、彼にはもっと深刻な問題があった。右手にはユウリが乗っていたのだ。
 もう1度右手を確認したレンは目を丸くする。そこには空中を舞う自機の右腕があったのだ。動かなくなった重たい右腕とそこから這い出してきたユウリの姿を確認したレンは、すぐさま彼女の救出に向かう。
 重力を得た右手から引き離された彼女はゆっくりと下方向へ落ちていく。

「ユ、ユウリっ!」
 レンはクラスターを投げ捨て、空になった左手を伸ばす。空気圧の所為か、口を開けた彼女の声は聞き取れない。彼女も必死に両手をこちらに伸ばしてくる。
「う、うおおおおっ」
 あと少し、僅か数センチがなかなか近づけない。彼女との微妙な距離だがこの速度の中、勢いよく突っ込んでしまえば、彼女が壊れてしまう。

 勢いを殺しながらも少しずつ近づく二人の手。互いの指先が触れようとしたその瞬間。
 二人の間を黒い機体が割って入る。鋭い刃先のブレードが、無残にもオーディーンの銀色の左手を切断してしまう。
「がぁっ。ああっああ……」
 軽くなった機体からレンの声が零れた。
 宙に浮く右手がユウリの体を覆うと、そのまま下降し地面に激突する。半壊したB−27の下の階層へと続く穴に折れた華奢な手首だけが落ちて行った。

 すぐさま着陸したレンも後を追いたかったが、そのわずかな隙間にはオーディーンの体は大きすぎる。こじ開けようにも両腕がない。
「そ、そんな……嘘だろっ」
 力無く地面に膝をつくオーディーンを上空から見ていた黒い機体は、それ以降こちらに目もくれずにその場を立ち去って行った。
「ちくしょう。あの野郎っ――ユウリ。頼む、生きていてくれっ」

感想・読了宣言! 読んだの一言で結構です