1章10話

 彼女達が本日遂行する任務は、難易度の高いフロアの奪還である。
 今日はユウリやハルカが参加する三十二階層制圧作戦のため、午前で訓練は終了だった。
 レンは一人、長い通路を歩いていた。その先にあるのはレベル5のスパイダーが格納されている専用エリアだ。
 レンは、格納庫に到着すると、身近にあった緑のスパイダーのコックピットへと飛び乗った。
 すぐにスパイダーが起動すると、背後から引き出したケーブルを首元のコネクターに接続する。
≪システム・オン パール・バーティー≫
 彼が今登場している機体はミサオのパール・バーティーだった。今回の作戦にはレベル5の出動命令は出ていない。だから彼女が特別に機体を動かさないという条件で貸してもらったのだ。
 レンは視界の端に表示された小さなディスプレイに視線を移すと、そこには、ユウリが映っている。
「なんだよ。意外に落ち着いてんじゃねぇか」
「当たり前でしょう? この日の為にどれだけ訓練を積んできたと思ってるの」
 秘匿回線を通じて彼女と交信することが可能なのだ。
「じゃあ、俺はもう必要ないな……」
「なにそれ。レンが交信しようって言い出したんじゃない。どの道、戦場に出ればアンタにかまっている余裕もないだろうけどね」
 レンは自分が意地悪だと理解しながら彼女にそう言った。
「旧知の仲だろ? 俺の前で強がっても仕方がないぞっ!」
「いったいどうしたっての? 今日のアンタ……ちょっとおかしいよ」
「……いや。お前が無理してるんじゃないかと思って……」
「だったら、何? レンが私の代わりに戦ってくれるっていうわけ?」
 任務開始の時を待つ、二人の貴重な時間だったのだが、どうも調子がでない。彼はユウリを怒らせてしまったようだ。

「ねぇ。レン」「ん?」
「今回の三十二階層制圧作戦が成功したら……」「おう」
 一瞬の空白の後、彼女は続きを話し始めた。
「私がこの時代に生まれたことに意味があったことになるのかな?」「?」
「私にも価値があったのかなって話よ」
 レンは言葉に詰まった。記憶を失った彼女にしてみれば、自分がどこかのお嬢様だったことも何もかも知らないのだ。彼女は今まで自分の存在意義に疑問を抱いていたというのだろうか。
「こんな作戦に参加しようが、しまいが……。作戦を成功しても、しなくてもだ。お前が今ここにいることに価値はあるさ。少なくとも俺にはな」
「…………なにそのくさいセリフ」

 一瞬目を丸くしたユウリだったが、すぐにいつもの調子に戻ると悪戯な目をしてそう言った。
「さて、そろそろ時間だわ」
「もう、行くんだな……絶対に無茶はするなよ」
 レンの言葉に無言で笑みを作ると、彼女は秘匿回線を切断した。
 しばらく何も表示されなくなったディスプレイの映像を眺めていたレンは、軍事用回線に接続する。
 本来、軍事用回線は秘匿性を重視している為、作戦の関係のないものにはアクセスが出来ない。しかしレンの搭乗している機体は上位機体、そんなことはお構いなしに傍受できる。
 あらかじめ、ユウリから極秘で聞いていた作戦コードを入力してアクセスする。
 とたんに現在進行形で行われている会話が聞こえてきた。レンが今の会話を聴いていることは、ユウリ以外に知る者はいない。

「――三十秒後に突撃する。衝撃に備えておけ。」
「はい」
「ユウリ。お前の機体が一番多人数相手に優れてる。作戦通り、突入後最後尾のレイア副隊長の後ろから攻撃してくれ」
「了解しました」
 今回の隊長(ユウリのあだ名ではなく)は、レベル四のシンドウ隊長だ。以前、レンが見かけた時の容姿では、無精ひげを生やした恰幅のいい男だったのを覚えている。
 野性的と言ってもよい体格とは裏腹に、機転が利き部隊の安全を第一にしているらしい。
 ユウリがレベル五のミサオの次に尊敬する人物だと公言していたのを覚えている。

 突然、スピーカーから轟音が発せられた。目を閉じていたレンはディプレイに視線を戻す。
 そこには七つの機体の現在地が三Dで表示されていた。
 彼らの作戦が始まったようだ。

 ユウリは、上昇するパネルの上に立っていた。その隣には同じ部隊である六機のスパイダーが待機している。
 ユウリの鼓動が一気に上昇する。思わず左手で自分の右手を握り絞めた。
 スパイダーは、搭乗者と神経レベルで接続されている。ゆえに、ユウリの白い機体が同じ動作をしてしまう。

 レベル三以上の者には、専用のスパイダーが用意される。
 そこにある多色のスパイダーたちの中でも、控えめな色である赤褐色のスパイダーがユウリの方へ近づいてきた。ちなみに、ユウリの純白の機体はこの中でも一番目立っているだろう。
 赤褐色の機体に搭乗する隊長のシンドウは、ユウリに声を掛けてきた。

「今さらなにを言ってもかわらんだろうが……あんまり緊張するなよ」
 そう言ったシンドウのスパイダーは両手を頭の後ろで組んだポーズをとっている。
「隊長はちょっと気を抜きすぎです……」
「あり? そうかなぁ。まぁ俺の場合はリラックスしてほうが成果が上がるんだよ」
 ユウリのディスプレイ上に表示されたシンドウの笑った顔が印象的だった。

 確かこの人には妻子がいる。一般市民が生活する最下層ブロックで家族が待っているはずだ。
 彼は以前、「娘が大人になる頃にはこの戦争も終わらせて、本物の空を見せてやりたい。あの娘はこの『グラウンド・エデン』で生まれたからな。本当の空を見たことがねぇんだよな」とユウリに言ったことがある。
 今回の作戦が成功すれば、その夢もまた一歩現実に近づくわけだ。ユウリはより一層強く、組んだ手を握り絞めた。

 まもなく三十二階層へ到着する。
 しかし、七人の目に飛び込んできたのは、地獄のような光景だった――

 ユウリは事前の作戦で、三十二階層到着後すぐにはレイアの後方に回るように指示されていたので危機を免れることができた。レイアの水色の機体が瞬く間に上昇するとそれに合わせて彼女も追従する。到着のタイミングと同時に上昇したことで難を逃れることができたのだ。
 しかし彼女たち以外の5機は、三待ち構えていた八機のサクラロイドに取り囲まれてしまう。

 そう、ユウリ達が来ることを予測していたかのように八機のサクラロイドが、彼らの乗った上昇パネルの出入口を取り囲んでいたのだ。
 通常上昇パネルは待ち伏せに対応できるように複数用意されている。さらに司令部ではそれぞれのハッチに用意されたセンサーで周辺にサクラロイドがいるかどうかを事前に知ることができる。まずこの様な事態が起こることは考えられなかったのだ。
 
 5機を取り囲んだ8対のサクラロイドが彼らに一斉射撃を喰らわせる。そのすさまじい轟音は離れたところに浮遊するユウリ達にまで響く。すぐに硝煙で辺りは見えなくなった。同時に先程まで更新していた部隊との通信が途切れる。
「ユウリ。我を失うな。来ますわよっ」
 絶望的な状況の中、呆然とすることしかできなかったユウリに、副隊長のレイアがそう叫ぶと機体を横回転させて加速する。レイアの水色の機体ギリギリをミサイルが通過していった。
 彼女のその一声でユウリは覚醒すると、左右に機体を振ってサクラロイド達の照準を逸らす。レイアがいなければ、今頃ユウリもハチの巣にされていたところだろう。

 だが、どちらにしても絶望的な状況に変わりはない。このまま敵の攻撃を躱し続けていても仕方がないうえに、硝煙で敵も味方もどこにいるのか判断できないため攻撃に移ることもできないのだ。
「司令部。状況の詳細をっ」

 レイアの声が響く中、一向に本部からの応答はなかった。

「おいおい。どうなってんだよ……これ。ハルカ達は何してやがるっ」
 レンは戦場の状況を必死に聞いていた。彼女らの会話からして、想定外の事態が起きていることはわかるが、だからといって別の階層にいる彼にはどうすることもできない。
「いや……手はあるじゃねぇか。今俺が乗っているのはなんだ。レベル5の機体なんだぞっ」
 レンはミサオとの約束を思い出し彼女の起こった顔が過ったが、今はそれどころではない。これで彼女を恐れたが為にユウリを助けられなかったとしたら、レンは後悔してもしきれない。

「待ってろよ……ユウリっ。今、助けに行くからなっ」
 レンは屈強な緑の機体を上体に逸らすと頭上の開放口を見上げた。スパイダーが出撃する際にその扉は開かれるのだが、出撃要請のかかっていないパール・バーティーの為に開かれるはずもない。
「体当たりでもして、破壊するしか……ないよな」
 膝を曲げ、屈めると深呼吸するレン。まさか、あの扉よりもこの機体の方が柔いとは思えないが、それでも勇気がいる行為だった。

 突然彼の耳に聴いたことも無い異様な音がした。
――ガシャガシャ、ガシャン。という何かが閉まるような音が連続で聴こえてくるのだ。それもどんどんこちらへ近づいている。

 レンがその音の正体に気づいた時にはすでに遅かった。突如床から出現した銀色の輪がパールバーティーの足にめり込む。隣の機体を見ると、その足元にも同系のそれがしっかりと固定されていた。
「やられた……」
 誰かがレンの行動に気づいたのかはわからないが、全てのスパイダーが拘束されてしまったのだ。
 こうなっては仕方がない。この機体は諦めて別の拘束されていない機体を探しに行こうとコックピットのハッチを開いた彼は思わず全身が硬直する。
「レぇ〜ンっ!」
 青い髪をした人間がものすごいはやさでこちらに走ってくるのが見えたのだ。パールバーティーのコックピットへと続く長い通路を全速力で駆け寄るのは、鬼の形相をしたミサオだった。

 次の瞬間、ミサオの履いたブーツの底が彼の視界に入る――

 所定の位置から離れていたコックピットに向かって飛び込んで来た彼女は、そのままレンの顔面に飛び蹴りを喰らわせたのだった。
 そのあまりの衝撃に首が後部座席に激突する。もしこれがクッションになっていなければ、彼の頸椎は確実におられていたであろう。
 嘘みたいに高く飛び散った血飛沫が彼の恐怖を煽った。だが、彼女は怯えるレンに対し、容赦なく髪を掴んで下を向かせると、強引にケーブルを引き抜く。
 そして彼の顔面を破壊するように殴り始めた。
「てめぇっ。約束したよな? なにがあっても機体を動かさねぇって!」

 困惑していたのは現場の部隊だけではなかった。同じく司令部も猥雑とした空気が流れていた。
「ハルカ。事前に上昇パネルの周辺は調査したんじゃなかったのか?」
 最高司令官ナイトウグンシは、本作戦の指揮をとる少女ではなく、彼女の観察役を務める曾木を睨んだ。
「申し訳ありません。ナイトウ司令官。ですが、敵はセンサーの範囲からぎりぎり外れた場所で待機していたようです。そもそもこの階層には三機のサクラロイドしかいないとセンサーが判断していました」
「バカな。じゃあ偶然にも奴らはセンサーの範囲ぎりぎりで、しかも彼らの出現ポイントである上昇パネル周辺にいたということか?」
「…………偶然だとは思えません……しかし、今はそれどころではないと思います」
 そこで会話を切ったナイトウは、近くにいた一人の男に命令する。
「レベル5の部隊を三十三階層の防御へ当たらせろっ」
「了解しました」
 命令を受けた男は、承諾するとすぐに立ち去ろうとする。
「待ってください、お兄様」
 先程から自分の失態が招いた事態を重く受け取っていたハルカが命じられたレベル5を呼び止めた。
「彼らを見捨てるおつもりですか?」
「三十三階層移行へ侵略されるリスクには代えられん……」
 そう答えたナイトウは、手でその男に行くように指示を出す。
「ハルカ司令官。今回のミスを肝に銘じておくことだ。どんな事態が起こってもその全ての責任をとるのが司令官の務め」
 青ざめた表情のハルカの横を過ぎ去る際、この日初めて彼女の兄であるリオンが小声で口を開いた。
「不知羽司令官。今回の作戦の責任を取るのも、そして指揮権を持つのも貴方だ」
「…………」
 ハルカはその言葉の意味を理解するわずかに時間がかかった。しかし、彼の意図を理解する。
「不知羽隊長。司令官として命じます。三十二階層へ赴き、彼らを救出してください」
「なっ。勝手なことをぬかすな。……不知羽隊長。彼女の命令に従えば懲罰は避けられんぞ――」
 しかし、シンドウ最高司令官と兄のリオンの間に割り込んだハルカが言い放つ。
「今回の作戦の司令官は私です。その責任は私が追います」
 小柄ながらも鋭い形相で睨みつけてくるハルカに、シンドウが先に折れた。
「…………勝手にしろ。だが、いくらお前らが不知羽家の人間だと言っても、12家が決めたことを捻じ曲げることは許されんぞ」
 ハルカはシンドウを無視すると、兄に深くお辞儀して自席に戻った。
 彼女がディスプレイに目を向けると、ユウリ達のいる三十二階――ではなく、その遥か下層にマークされる一機のスパイダーが目に留まった。
ハルカはそのスパイダーが回線に割り込んでいることに気づくと、そのコックピットをモニターに表示させた。
「っ!? レン……君。いったい何をしようとしているの?」
 彼が搭乗した緑の機体は今まさに飛び立とうとしている。ハルカは反射的に全スパイダーを拘束する安全装置のボタンを押す。

 血飛沫を挙げてコンクリートに体を打ちつけたレンの口元から息が零れる。それと一緒に真っ赤な液体を吐き出した彼は、頭上で仁王立ちになったミサオを無言で睨んだ。
「私が恨めしいか? だったら自分の機体が持てる様強くなる事だな。お前がパール・バーティーで出向いて行っても結果は変わらん」
「そんなこと……やって見なきゃあ、わかりませんよ……少なくとも、僕はあの機体の100%を出すことができる」
 すぐさま彼の顎に彼女の蹴りがめり込む。
「うぐっ」
 激痛で口を押えたレンの手に真っ赤な血を吐き出した。彼の折れた歯を掌で握りしめると彼はゆっくり起き上がってミサオの顔面に目がけて拳を叩き込んだ。だが、彼女はその拳を躱して懐に潜り込むと、胸倉を掴んでそのまま彼を投げ飛ばした。
「っ」
 呼吸困難になったレンは冷たいコンクリートの上でジタバタともがき苦しむ。
「なめんなっ。少なくとも素手で私を倒せない奴が、私より私の機体を操れるだと? 思い上がるなよっ」
 口をパクパクと開けてなおも何かを言いたそうにするレンを見下ろした彼女はそのまま黙って振り返った。
「ハナタレがっ。ユウリは何があってもアタシが連れて帰って来てやるよ」
 彼女はそう言い残すと、彼女の愛機に飛び乗った。本来の持ち主が乗り込んだパール・バーティーは雄叫びをあげるように駆動すると、ハンドガンを取り出して自分の足枷を撃ち抜き、躊躇なく天井の扉も撃ち抜いた。そして背中のブースターを始動させると瞬く間に飛び立っていく。

 強い突風が涙と血でぐしゃぐしゃになったレンの前髪を巻き上げた。

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