1章8話
彼の腕の中で瞳を閉じたリズ。
彼女の全身を緑の光が覆っていた。それはHBOの世界から彼女の存在が無くなることを意味していた。このゲームでHPがゼロになるということ、つまりゲームオーバーになってしまうとプレイヤーアカウントが抹消されてしまうのだ。
もうじき存在が消えてしまう少女。そんなリズにアキラはなにか別れの言葉を伝えたかったが、声にでない……
彼女は、このゲームの世界で初めてできた親友だった。
できることなら……この先もずっと一緒に居たい。しかし、それは叶わないことだ。
せめて、別のゲームでもいい……彼女との接点をクいたくなかった。
HBOの世界では30秒間だけ、HPがゼロになってもその世界に存在できる。すぐに消えてしまうと、死体を表現できないというふざけたゲームシステムのおかげで、彼女と最後の会話ができるというのに……無情にも時間だけが過ぎていく。
そんな最期の場面で、彼女はなにも発しなかった。
代わりに、IM(インスタントメッセージ)が送られてくる。目の前にいるというのに彼女がわざわざ口で話さないのには理由があった。
それは彼女に止めを刺した相手がまだ近くにいたからだ。
アキラは急いで、ディスプレイに表ヲされたIMを選択すると、素早くそこに書かれていた内容に目を通した。
≪アキラ。例のアイテムを奴らに渡すな。頼んだぞ!
それから、マオ・リンとは決して目を合わせるな≫
短い文章。彼女に残されたわずかな時間で書き記したものであろう。
もっと、伝える言葉があっただろうに……。彼女は最後まで、あの『血約の証』にこだわっていたようだ。
「くそっ。さよならなんて言わねぇぞっ!
なんでもいい……またどっかのオンラインゲームで、そのキャラクター名でプレーしてくよなっ。俺、必ずお前のことを見つけてやるからさ!」
半泣きになるアキラに微笑んだ彼女は、一言だけ呟く。
「また……会えるさっ!そう、近いうちに……」
そして彼女の体は、光と共に砕け散った。
「うおおおおおおお。くそっ!」
アキラは雄叫びを上げると、彼女がいたはずの地面を殴りつけた。
◆
「っち。あの女、すでに全財産を処分していやがったのか?何も送られてこねぇぞ!」
アキラの背後で、声を発したのは黒いスーツ姿の男だった。
HBOでは、止めを刺したプレーヤーに敗北したプレーヤーの全アイテムとHBPが譲渡される仕組みとなっている。もちろん、その男は彼女の財産が目当てではないのだろう。
彼らの目的は一つ――『血約の証』だ。
現在それを手にしていたのは、リズではなくアキラなのだ。
以前、『シャンハイ』のバーで見覚えのある男。たしか、名前はワンとか言ったはずだ。
アキラは男の姿を確認すると、記憶を頼りに相手の名前を思い出していた。
「おい、ガキ。お前が『血約の証』を持っているのか?」
ワンのすぐ隣に現れた金髪の男が言い放つ。
その男は、前にクエストでアキラたちに難癖をつけたリオンだった。
「リオン。本部が襲撃にあったようだ。俺は先に戻るから、この男を始末しておけっ!」
ワンはそう言うと、アイテムボックスからテレポートアイテムを取り出す。本来、どこからでも移動できるこのアイテムは高価な代物で、滅多やたらに使えるような物ではないのだが……彼は気軽にそれを使用すると、開かれた光の中へと入っていった。
その場に取り残されたリオンとアキラの2人だけとなる。
「へっ。リズ姉さんと闘えなかったうえに、こんな雑魚の相手をさせられるなんて。
ワンさんの身勝手さには程ほどうんざりするよ……」
リオンは気怠そうにアキラに言い放つ。
「お前らが……リズを。絶対許さねぇっ」
アキラはまだ戦闘態勢に入っていないリオンに向かって飛び掛かっていく――
不意を突かれる形となったリオンだったが、タ力は彼の方が勝っている。
アキラが振ゆ睚した剣を素早く避けると、すぐさま両手で持った銃を構えた。
だが、アキラの攻撃はこれで終わりではない。
強烈な一閃り蘊したリオンの前を銀色の銃が横切る――パンという1発の銃声と共にリオンの頭部が弾き飛ばされた。
同時に彼もアキラに向かって銃を撃ち放つ。
反ヒ的に左腕で顔を守ったアキラだったが、強い衝撃が加わると容ヘなくその腕を持ち去って行った。
「ぐわぁっ」
左肩から先をクったアキラは、悲痛の叫び声をあげる。一方、頭部をクったリオンは、すでに顔が再生していた。
HPがゼロでない状態で、頭部をクったプレイヤーは3秒後にその部位が再生されるのに対し、その他の部位をクったプレイヤーは、30秒間再生しないというペナルティが課せられるのだ。
頭部の方がダメージは大きいのだが、五体満足の状態のリオンに対し、右腕だけのアキラでは不利な状況である。とはいっても同じように頭部で攻撃を受けていた場合、アキラが無事だったかどうかは不明だが。
「くそガキがっ!お前は両手足全部ecいで命乞いさせてやるよっ」
残り40%にまでダメージを負ったリオンは、アキラに対してそう怒鳴ると銃を構えた。
対するアキラのHPは60%ほど残っていた。しかし、決して余裕があるとは言えない。目の前にいる男は、一撃でアキラを葬ることのできる高レベルプレーヤーなのだ。だが、彼は後ろに下がったりはしなかった。
ただひたすら、目の前のリオンに対して突撃していく。
そんなアキラの前で2発の弾丸が撃ち放たれる――しかし、彼は弾丸のさらに下を潜るように地面スレスレを移動すると、右手に持った愛剣を下から上へと振り上げた。
「うおらぁっ」
地面を抉りながら突き上がった剣先が、リオンの鼻の先を通過する――
血飛沫をあげて真2つに切り割かれたリオン。
『ヴァンパイア』種族特有の赤い瞳をギラつかせたアキラが、崩れ落ちる彼を見下ろしていた。
「なっ。『紅蓮魔道会』幹部のこの俺様がこんな奴に負けた……だとっ」
30秒ルールから復活したアキラは両手で剣を逆手に持つと、まだ意ッのあるリオンを上から突き刺した。
◆
一人になったアキラは、しばらく呆然と立ち尽くしていた。この廃れたバーにはもう彼しか残っていない。
改めて、友をクった悲しみに暮れる彼をさらに苦しめる事態が訪れる。
アキラのディスプレイにコールサインが表ヲされる。そこには、リアル友達の『ソラ』と表ヲされていた。
人と話す気分ではなかったが、アキラは嫌な予感がする。
「ソラ。どうしたんだ?」
アキラがそう尋ねると、不躾に怒鳴り声が響いた。
「アキラぁ、すまねぇっ!ユウナが――」
その言葉を聴き終わらないうちに、彼は地面に膝をつく。先程まで緊張で固まっていた筋肉が、一気に緩むのが分かった。
◆
『ホンコン』にテレポートしたアキラは、その足で『紅蓮魔道会』本拠地へと乗り込む。
豪華な洋館にも見える邸宅にたどり着くと、正面にある鉄製の門に向かって『ソード・フィッシュ』を撃ち放った。
派手な音を立てて扉が吹き飛んでいく。その光景はまるでアキラの怒りを表現しているかのようだ。
遠慮することなく、彼は玄関の扉をホめに切り開けると目の前に広がった長い廊下を突き抜けて行った。
――そして、彼は見つけてしまう。遥か先に、うつ伏せで横たわる裸の少女を――
「うああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
張り裂けんばかりの叫び声をあげたアキラは、彼女に駆け寄ると身に着けていた黒コートを被せて抱きあげる。
「嫌っ……見ないで――」
泣きながら懇願する彼女を、両腕で優しく包み込む。
「大丈夫。もう、大丈夫……」
アキラは優しい言葉を掛けると、彼女の栗毛を撫でてやる。
ゥ分の顔を彼女に見せないようにするアキラ――その表情は狂気に満ちていた。
――あいつら。絶対に殺してやるっ!!!
アキラは彼女を床に寝せると、剣を手に取る。
「アキラ……行かないで。私のそばにいてよっ!」
そう言ってアキラの袖を掴んだユウナ。――だが、彼は優しくそれを払い除けた。
「ごめん。もう二度とお前を離さないから。あと1回だけ許してくれっ!」
最後にもう一度彼女の頭を撫でると、屋敷の奥へと向き直ったアキラは修羅となった――