1章6話

 それから数日は平和な日々が続いていた。
 アキラとユウナはそれぞれHBOの世界を満喫している。
 ただ一人、アキラとユウナの共通の友人が、ずっとオフラインの状態を保っていることを気にかけていた。
 そして、その友人であるリズが仕組んだ計画が動き始める。

 『アキバ・シティ』高層ビルやプロモーションディスプレイが立ち並ぶこのハイテク都市から外れると、緑の多い小さな街が存在する。
 自然に囲まれた比較的穏やかな空間の片隅に、宮殿のような建物があった。
 そこが、日本人都市最大の秘密結社『青天木馬』のホームである。
 宮殿の一室、姿見の前で髪をとかす少女の姿があった。

 彼女は鏡の前で、艶のある髪をブラシで整えると映り込んだ自分の顔を見た。
 口元が緩んだ自分の顔を見て、さらに笑みがこぼれる。
「ユウナ様。先程から何を笑っていらっしゃるのですか?」
 彼女にそう尋ねたのは付き人のライン。彼は密かにユウナに思いを寄せていた。
「ちょっとね。良いことがあるんだ」
 それ以上詳細なしに、彼女は再び顔を緩ませた。
 
 彼女が喜ぶのも無理もなかった。
 今日は彼女の誕生日なのだ。しかも今日は休日。
 一日中ゲームの世界に居られる彼女は、午後から恋人のアキラと会う約束をしていたのだ。
 ただし、アキラとの関係は、『青天木馬』の皆には秘密である。知っているのは、ソラとカオルとリンナの3人。現実の優奈を知る、リアル友達だけなのだ。
 禁断の恋。そんなおとぎ話のような関係を、ユウナは密かに楽しんでいた。

「ユウナ様。おとぼけになるのも構いませんが、明日には『紅蓮魔道会』の連中と一戦を交える計画をお忘れですか?副大将であるあなたが、そんなことでは全体の士気にかかわりますよ」
 彼なりに何かを察しているのか、不機嫌な態度で彼女を責めるラインだったが、肝心の優奈にはなにも聴こえていない。
 腕時計型のディスプレイを操作すると、自身のアイテムウィンドウに入っている服を眺めていた。今日の午後に着る服をチョイスしているのだ。
 シックに黒のワンピースにしようか、それともちょっと露出の多い赤のタンクトップでアクティブにいこうかと悩んでいた彼女だったが、不意に新しいウィンドウがポップアップされると、その内容に目が釘付けになる。

 ≪プレイヤー リズナブリット 様からアイテムが送られています。受け取りますか?≫

 ほぼ毎日オンラインになっているリズが、ここ最近ではオフラインのままである。
 心配するアキラに嫉妬するユウナだったが、彼女自身も心配はしていた。
 そのリズからアイテムが送られてきたのである。
 
 見知らぬプレーヤーから嫌がらせアイテムを送り付けられることもあるため、普段はそういった贈り物を受け取るようなことをしない彼女だったが、今回は知り合いということもあって、迷わずに『はい』を選択した。
 
 途端に、細長い棒状の何かが出現する。
 意外な大きさに驚いたユウナは、両腕を広げてそのアイテムを受け止めた。
 彼女の腕に、ずっしりとした固いオブジェクトの感触が伝わってくる。
 
「ユウナ様!そ、それは……」
 何事かと彼女の方を見たラインは、ユウナが手にしているアイテムに絶句した。
 彼女は、そのアイテムを天井に向けて掲げる。
 一切のエフェクトを発していないにもかかわらず、室内の明かりに反射したそのアイテムは、煌びやかな装飾を纏った銀でできた短剣だった。
 
 HBOの世界で2つとないユニークアイテム。その名も『クインズ・スレイヤー』。
 ハイブリッド・ブラッドのゲーム設定でも登場する、かつてこの世界の女王様がこの短剣で迫りくる魔物から民を守ったとされる秘刀中の秘刀。
 HBOの商人たちに見せれば、目ん玉を飛び出さんとばかりに言い寄ってくるであろう代物だった。もはや、値段のつけられるアイテムではないが。

「これって、本物……だよね?」
 流石のユウナもこの時ばかりは、そばにいたラインに確認をしたほどである。
「お、おそらく……心配でしたらアイテム情報を確認してみてはいかがでしょうか?」
 ラインに言われて、そんな初歩的なことも忘れていた彼女は、手にした剣をタッチする。
 すぐさま短刀からポップアップされたウィンドウに、アイテムの詳細が表示される。
 
≪アイテム名:クインズ・スレイヤー  レア度:★★★★★≫
 
 そのアイテム名を一字一句間違えないように読み上げたユウナは、レア度を表す星マークにため息をついた。
「はぁ。……星五つ。最高レア度のアイテムね」
「はい。正真正銘、間違えなく本物の『クインズ・スレイヤー』です。
――いったいどうやってその武器を手に入れたのですか?」
 ラインの質問には答えず、ユウナはその短剣を鞘から取り出すと、光り輝く切っ先を天に掲げ直した。
「どう?似合ってる?」
 満面の笑みでポーズを取ったユウナに、
「はぁ。……もちろんよく、お似合いですよっ!」
 と彼は呆れ半分に答えた。

 伝説級のアイテム。その所有者を知る者は少ない。
 なぜなら、元所有者は短剣など使用しない高尚なガンナーだったのだ。
 そんな元所有者リズに何度もこの剣を売って欲しいとせがんだが、一向に相手にされなかった。

――それなのに、どうして今さら?

 ユウナは小首を傾げた。

 ユウナが『クインズ・スレイヤー』を掲げていた頃。一人、廃墟都市『シエスタ』でクエストを終えたアキラは、戦利品のチェックを行っていた。
 アイテムウィンドウがいっぱいになっていた彼は、必要のないアイテムを近くにあった商人に売りつけていたのだ。
 NPC(ノンプレイヤーキャラクター)のライオットという大男に、もう少し高値で買い取ってくれないかと交渉に励んでいた彼は、不意に鳴り響いたシステム音で、会話を中断した。
 
 すぐに左手に装着された腕時計型ディスプレイに目を向ける。

≪プレイヤー リズナブリット 様からアイテムが送られています。受け取りますか?≫

 ここ数日、音沙汰なしのリズ。そんな彼女の贈り物と知り、アイテムボックスがいっぱいだったアキラは、仕方がなくライオットのいい値でいらない戦利品を買い取ってもらった。

「まいど。」
 彼は満面の笑顔を作ると、お客であるアキラに礼を告げた。
「あんたってさぁ。ほんとにNPC?」
 ここ数日、ゲーム内では誰とも会話していなかったアキラは、ライオットの人間味溢れる話し方に、システムが作り出した偽物だということを忘れそうになった。
 
 とにもかくにも、リズからの贈り物を受け取ることにした。
 システムからの質問に『はい』を選択したアキラの元にアイテムが送られてくる。

 意外に小さなアイテムが2つも出現した。
 アキラは両手でそれらを受け取ると、そのオブジェクトを確認する。
 一つは意外にも、アキラがよく目にしたものだった。
 そしてもう一つは、使い道も検討がつかない謎のアイテム。

 最初のアイテムは、2丁拳銃のリズが愛用するハンドガンの1つ。
 ユニークアイテムの『ソード・フィッシュ』だった。
 銀で装飾されたそれだけでも価値のある豪華な銃だが、表面の手入れがされておらず、あまり光沢がない。
 そのくせ、銃自身のカスタマイズには余念がなかった。フルチューンアップされたそのアイテムの価値は、もはや伝説級のユニークアイテム『クインズ・スレイヤー』が霞む程だ。

 彼女の命ともいえる愛銃を彼に寄越したということは……

 アキラの脳裏に『引退』の2文字がちらついた。
 そして、もう一つのアイテムは、それこそまったく使い道のわからない小さな小瓶。
 中には真っ赤な液体が揺れている。
 
「なんだこれ?いくら俺が、人間とバンパイアの混血種だからって、血を送られてもなぁ……」
 そのアイテムをタッチすると、アイテム情報がポップアップされる。

≪アイテム名:血約の証  レア度:・・・・・≫

「『血約の証』!?レア度……無しかよっ!
 これって消耗品なのかな……」
 アキラが独り言をつぶやくと、まだ店のカウンターの前で笑顔を作っていたライオットが声を掛けてきた。
「おや。それは『血約の証』だね。早く返してあげないと、その所有者は困っていると思うよ?」
「?これってなんなの?」
「それは、秘密結社を作る際に、マスターの『血』を使って自分の所有物だと証明するものだよ。その証拠に、その小瓶に秘密結社名が書かれているだろ?」
 そう言われたアキラは、改めて小瓶を確認する。
 たしかに、瓶には刻印がされていた。

≪紅蓮魔道会 マオ・リン≫

「ぐ、紅蓮魔道会!?って……これはマオ・リンの血かよ……」
 彼はそのアイテムの価値が、『ソード・フィッシュ』以上のものだと理解する。
 このHBOでただ一人の『蛇』種族である彼女の血。それは、史上誰もなし得ていない最強の種族『ドラゴン』への進化に必要なキーアイテムである。

「まぁ、私としては『ソード・フィッシュ』の方を売ってもらえるとうれしいんだけどねっ!」
 店主が、むさくるしい笑顔でウィンクしてきた。
「もう一度聞くけど、あんた……本当にNPC?」 


 アキラは、『ソード・フィッシュ』を手にすると、離れた場所に置いた空き缶に狙いを定めた。
 西部劇によくあるシチュエーション。
 廃墟都市『シエスタ』はまさに、西部劇のような閑散とした雰囲気がある。

 彼がそのトリガーを引くと、すさまじい重低音と共に一発の弾丸が撃ち出された。
 その反動でアキラは尻もちをつく。肝心の弾丸は、空き缶から外れた民家の壁を突き破った。
「痛ってぇっ。やばい。あの家、誰か住んでないだろうな……」
 廃墟都市に住むようなもの好きは珍しいが、それでもいないとは限らない。
 アキラは腕時計型のディスプレイに、マップを表示させると他プレーヤーを表す緑のポイントが表示されていないことを確認して、安堵する。
 
「やっぱり、持ち主の腕が問題なのか……」
 アキラはそうつぶやくと、改めて自分の才能の無さにため息をついた。
 『ソード・フィッシュ』程の名銃ならば、武器のせいにするわけにもいかない。ましてや、元所有者は最強クラスのガンナー、リズナブリットなのだ。
 
 以前、彼女がバーで見せた曲芸をアキラは思い出す。
 彼女はこの銃で弾丸の軌道を変えて、見事に的を撃ちぬいて見せたのだった。

「あぁ、もう。どの道こんなに反動がきつくちゃあ、まともに撃てやしない。
 しかし、リズはどうやってリコイルを防いでたんだ?」
 アキラはもう一度あの時のモーションを想い出す。たしか、彼女は銃で切り付けるように横に振り翳しながら発砲していたのを思い出す。

 アキラも見よう見まねで、同様のモーションをとってみた。
 元々剣スキルはかなりの熟練度になっているアキラにしてみれば、銃を剣のように振り翳すことは得意である。
 何もない空間を真横に切り裂いた『ソード・フィッシュ』は、途中で弾丸を撃ち放つと、その反動で移動速度を加速させた。但し、所有者を後ろへ弾くような反動ではない。
「なるほど。この銃は遠心力を利用して撃つものなのかっ。
 銃のリコイルを横方向へ受け流してやれば、持ち主が後ろに倒れることがない……」
 撃ち方がわかったところで、アキラの銃スキルがあがったわけではない。
 現に何度も銃を乱射してみたが、一向に的となった空き缶に触れる事はなかった。

 アキラはせっかく手に入れた銃だったが、今までのハンドガンの方が連弾できる分使い勝手が良い。
 諦めて、その銃をアイテムボックスの奥深くに締まってしまおうと考えていたアキラに、店から飛び出してきたライオットが怒鳴り散らしてきた。
「おい。なにやってんだよ……ちくしょう。
 そんなにすごいアイテムを貰ったのに、使わないつもりかい?」
 アキラはそれこそ余計なお世話だとその大男を睨み返した。
「まぁ。落ち着け。君は銃スキルが苦手なようだね。
 よし、おじさんがその銃の本当の使い方を教えてやろう」
「?……本当の使い方?」
 アキラがそう尋ねると男は、ガッツポーズの態勢を取って言い放つ。
「さっきのアイテムを売ってくれたお礼に、タダで教えてやろうっ!」
「はぁ。って、やっぱりさっきのは、悪どい商売だったんじゃねぇか!
 んで……もう一度確認するけど、あんた。本当にNPC?その割にゃあおせっかいを焼きすぎだろっ」
 男はにんまりと白い歯を見せて笑った。

 そして午後。
 ユウナとの約束の場所に何とか時間内にたどり着いたアキラは、遊園都市『ウォーター・バーグ』の時計台前にいた。
 人気のデートスポットであるこの場所には、すでに多くの人がごった返している。
 
「……やっぱ。一度帰ろうかな……」
 普段のくたびれた黒いコートではなく、なぜか真新しい黒のタキシード姿のアキラは、明らかに一人だけ目立っていた。
 別に彼が好んでこの姿をしているわけではない。あの武器商人、ライオットが仕立てたものである。
 トイレかどこかで着替えようと、辺りを見回していたアキラだったが、彼よりも前からその場所にいた少女が、そんな彼よりも注目を集めていることに気づいた。
 その少女が特異な服装をしているからではない。
 彼女は薄手の黒い背中にリボンのついたシャツに、赤いチェック柄のミニスカート。肩には金のチェーンをあしらったベージュの鞄。その場の雰囲気に合ったアクティブな服装の彼女だったが、その容姿、スタイルが注目を集めていたのだ。
 『鷹』種族独特の栗色の大きな瞳に、透き通るほど白い肌。小ぶりな鼻と口元。
 瞳と同じ栗色の髪を外巻きにした少女は頭上に小ぶりな麦わら帽子を乗せている。そんな彼女が、その場にいたすべてを魅了していた。

 彼女をしばらく眺めていたアキラは、ようやくそれがユウナだと認めた。
 普段、HBOでの彼女は戦闘用の鎧を纏っているうえ、現実の彼女はもう少し幼稚な格好を好んでいたからだ。
 
 ユウナもアキラの存在に気づくと、手を振ってこちらに合図してきた。
 その場にいた男性プレーヤーの鋭い視線がアキラに集まる。
 借りてきた衣装に身を包んだ子供のようになったアキラに失笑と憎悪の塊が押し寄せる。
 その空気に耐え切れなくなったアキラはユウナの細い手首を掴むと、駆け出した。

「はぁ。やっぱり慣れない恰好はするもんじゃないな。」
 木陰のベンチに座ったアキラは、そうつぶやく。
 隣に座るユウナも苦笑していた。
 お互いに普段とは違う恰好で、借りてきた猫のように無言になる。

「やっぱ。俺、着替えてくるわっ」
 そう言って、立ち上がったアキラのジャケットの袖をユウナが引っ張った。
 振り向くと、小首を挙げて見上げる格好のユウナが懇願する。
「ねぇ。今日は私の誕生日でしょ?せっかくだから、私はこのままがいいな……」

 遊園都市『ウォーター・バーグ』には、遊園地やアトラクション、それに湖の畔でボートといった一通りのスポットが存在している。
 アキラたちも束の間の休日を楽しんだのだった。

 夕暮れ時、アキラとユウナは芝生の公園を散歩していた。
「アキラ。どっかの街に部屋を借りない?」
 唐突にユウナが提案してきた。
 このHBOでは、他に所有者がいなければ好きな街の好きな場所で暮らすことができる。
 現実社会と仮想社会を行き来するアキラたちにはあまり縁のないものであるが、VRMMOの世界に没頭したプレーヤーは、現実には戻らないで、仮想世界で生活している者も少なからずいるのだ。俗に『ネットワンダラー』と呼ばれる人種だ。
 
 部屋を持つ利点は、プライバシー空間。それに所有アイテムの増大である。
 まず、所有者の部屋には現実と同じく、簡単に侵入することはできない。その土地を所有する管理者――商人やクエストで成功を収めたプレーヤー――とその部屋を借りている本人以外には、建物を破壊するなどの暴挙にでない限りは不可侵領域となる。
 カップルでプライベートルームを借りることなど、よくある話なのだ。
 さらに、その部屋は自分の持ち物である為、好きなようにカスタマイズできる。当然自分のアイテムボックスから普段は使わないようなアイテムを置いておくこともできるわけだ。
 ただし、30秒間プレーヤーから離れたアイテムは他人が奪うことのできる『30秒ルール』が適用されるため、余り高価なものを置いておくことはできないが。

 そして、多くのプレーヤーが在籍する――他のオンラインゲームでいうところの『ギルド』的な要素である――秘密結社が所有する部屋を分け与えられたりすることもある。
 ユウナは『青天木馬』が所有する一番豪華な部屋が分け与えられていた。だが、あくまで結社が所有するため、頻繁に部外者を入れることができない。それが男性プレーヤーならなおさらである。
 アキラやリズのような無所属者は、自分のHBPで部屋を借りなければならない代わりに、好きな都市の好きな場所を選ぶことができる。
 たしかリズは、『シャンハイ』の一等地に部屋を借りていたはずだ。
 アキラは、クエスト以外に興味がなかったため、部屋を持ったことがない。クエストが終われば、適当な街で『ログアウト』するだけなのだ。

「そうだな。この際だから借りてみるか……
 ユウナはどこがいい?」
 今まで散々クエストに没頭していたアキラは、決してHBPが無いわけではない。むしろ、その辺の富豪クラスの金額を所有している。
『リアル・マネー・トレード』が売りのHBOだが、残念なことにクレジットカードを登録しなければ、現金に換えることもできない。まだ高校生のアキラにはそんなものを持っていないため、HBPは溜まりっぱなしだったのである。
 
「どうせなら土地ごと買って、家を建てちまうか?」

 当然、そんなことも可能なのだ。
 ユウナは少し考えるような仕草をした後、
「ううん。家はやりすぎかな。
 でも、どうせ借りるなら湖の畔のログハウスがいいなっ」
 彼女に小顔を傾け上目使いに言われれば、どんな要望だって叶えてやりたいと思うのが男の務め。
 アキラは二つ返事で了解すると、さっそく湖の方へと歩みを向けた。

 不意に風が靡くと、ユウナの麦わら帽子が風で舞う。
 そして、近くにあった木に引っかかってしまったのだ。

「あちゃー。あれは取れないね。……気に入ってたのになぁ」
 彼女が残念そうに言うと、アキラは、
「片方の上に乗れば取れるんじゃないのか?」
 と、提案する。

 「なるほど」とユウナは納得すると、何を勘違いしたのか木の下に近づき、四つん這いになった。華奢な体で作られた小さな足場が出来あがる。
 彼女の小ぶりな臀部が押し上がると、短いスカートの裾がめくれ上がった。細く色白な生足が露出し、アキラは目のやり場に困る。
「バカ。お前が下になってどうするよ。上に乗るに決まってるだろ……」
 わざとユウナから視線を外したアキラは、内心のどぎまぎした気持ちを悟られないように真面目な表情で言った。

「えー。でも、せっかくのタキシードが汚れちゃうよ?」
「こんなもの。汚れてもいいんだよっ!どうせ服なんだし。」
「それなら私の服だって……」

 そういう問題じゃない。ユウナには、まだ男の気持ちがわからないらしい。
 元々天然なところがある彼女だったが、アキラはそういうところも含めて愛らしい。
 というよりも、何をしても許せてしまう自分がいた。

 アキラが四つん這いになると、仕方がないといった表情でユウナが彼の背中に足をつけた。彼女の重みが伝わるが、決して重くはない。そして、アキラの背中に風が巻き上がるような感覚が訪れる。そして次の瞬間。

「よっと!」
 
 小さな掛け声をあげて飛び上がったユウナが、アキラの背中に着地する。
「くっ」
 今度は、さすがに強い衝撃を受けたアキラが息を漏らした。
「ごめんね。重かった?」
 なぜか満面の笑みを浮かべたユウナの手には、麦わら帽子が握りしめられていた。

 湖の畔に訪れたアキラとユウナは、ログハウスの中でゆったりとしていた。ついさっきアキラが購入したばかりの部屋だ。
 ユウナが一目ぼれしたこのログハウスは、すぐ目の前に湖があり、周りに他の家も無く、木々で囲まれた絶好のスポットである。その分値段はかかったが、これでこの家を購入したわけだから、これからユウナと共に過ごすには完璧な場所といえる。
 アキラはディスプレイに表示された残高を確認したが、ユウナには悟られないと毅然な態度で接する。
「さて、何にもないから家具を揃えないとな……」
 簡易的なベットと机。それからキッチンが着いたお部屋。
 飾り気のない上に、ソファーといったものもない。

 ユウナはアイテムボックスをいじると、目の前に一際豪華なソファーを取り出した。
「どうしたんだよ?それ。」
「ふふ。前にラインが私の部屋にってくれたのよ。まぁ、使わなかったんだけど……」
「ラインか。……そう言えば、『青天木馬』のみんなには、俺たちの事をばれちゃいないんだよな?」
 ユウナが少し残念そうにうなずく。
「あんまり、こういうことを内緒にしたくないんだけどね……」

 彼女は何かを思い出したように、再びアイテムボックスを開く。
 次の瞬間には、彼女の右手に絢爛豪華な装飾の短剣が出現した。
 アキラは、すぐにそれがなんなのかわかると、ユウナに尋ねた。
「そいつは、『クインズ・スレイヤー』じゃねぇか。
 ってことは、ユウナの所にも、リズからの贈り物が届いたのか?」
「?……アキラにも届いたの?」
 アキラもアイテムボックスから2つのアイテムを取り出すと、机の上に並べて見せた。
 それを見たユウナの顔から笑顔が消えた。

「『ソード・フィッシュ』。それから……」
 ユウナはもう一つのアイテム。『血約の証』を掴みあげると。そこに掛かれた刻印をまじまじと見つめた。
 その表情はアキラの彼女ではなく、『青天木馬』の副大将の顔だった。
「明日。私たち『青天木馬』は、マオ・リン率いる『紅蓮魔道会』と戦争をするつもりなのよ」
 彼女の真剣な声に、アキラは驚きを隠せなかったが、
「じゃあ。そのアイテムを使って相手を脅すか?」
 そう提案した。

 しかし、彼女は側頭で首を横に振る。
「これはアキラのアイテムよ。どう使うかはアキラが決めて!」
 そう言ったユウナの言葉に、アキラがどうしようと考えていたその瞬間。
 突然、部屋の扉がノックされた。

「?」
 二人は互いに顔を見合わせる。
 今日越してきたばかりの二人の家に、訪れる客などいるはずもなかった。

 二人の間に緊張が走る。部屋の明かりがついているのも関わらず、すこしでも自分たちの存在を消そうと無意識に息を潜めた。
 だが、もう一度部屋がノックされる。
 ダン、ダン、ダン、と藪から棒にノックする態度に、だんだんと苛ついてきたアキラは、机の上に置いてあった『ソード・フィッシュ』を掴むと、扉の前に歩み寄る。
 手にした銃口を扉に擦り付けると、防犯用に用意された穴から訪問者を覗き込んだ。
 
 見知らぬ男達が3人。表情からして、どれも日本人ではなさそうだった。
 そして、なにより彼らの胸元に付いていた腕章が目に入る。
 赤色の盾マーク。中に『魔』の文字が印字されたそれは、他でもない『紅蓮魔道会』のメンバーである証。
 
 アキラはすぐに例のアイテムを仕舞うと、本問者に声を掛けた。
「どちらさまですか」
 歓迎するわけでもなければ、追い返すわけでもない態度を示したアキラに、男達は告げた。
「我々は『紅蓮魔道会』のモノです。あなたはリズナブリットというプレーヤーと関係がありますよね?」
 アキラはやはりといった表情になる。
「ああ。リズが何かやらかしたのか?」
 彼には、『紅蓮魔道会』がリズを狙う目的がわかっていた。『血約の証』を取り返そうと血まだこになっているのに違いない。
 だが、彼はあえて惚けて見せた。現物は、今ここにあると言うのに……

「我々は彼女を追っている。もし見かけたり、何かを受け取ったら正直に報告していただきたい。もちろん、それなりの報酬はさせていただきますよ」
 彼らは、明確にリズがどういった経緯で追われているのか説明したりはせず、淡々と要望を告げてきた。

 だが、アキラにはそれとは別の事が気にかかっていた。
――こいつらは、いったいどうやってここがわかったんだ?プレイヤー名で検索を掛ければ、ある程度の所在地は分かるはずだが、具体的な場所までは特定できないはずだっ

 HBOには、友達検索機能がついている。プレイヤー名を入力するだけで、どの都市にいるのか、またはオンラインの状態なのかがわかる仕組みだ。
 だが、その都市の何処にいるのかまでは特定できない。その都市に2人だけしかいないなら話は別だが、ここは人気の遊園都市。24時間常に多くの人で賑わっている。

 彼らはアキラとユウナの後をつけていたという結論に達した。部屋に閉じこもってしまった二人にしびれを切らしたのか、声を掛けてきたといったところだろう。
 そんな勝手な都合で、2人の大事な時間を消費しなければならないことに、一層の怒りを覚えたアキラは声を荒げた。

「うるせぇな!一方的にそんなこと言われても知るかよっ。
 リズが何をしたのか知らないが、俺達には関係ねぇ。さっさと帰ってくれよ!」
 そう言い放つと、男達が互いの顔色を伺うのが見えた。
 中央にいた男が攻撃のモーションになるのも――

 アキラは瞬時に、『ソード・フィッシュ』の引き金を引いた。
 すさまじい衝撃で彼の体が後ろへ飛ばされる。

 同時に、部屋の扉を蹴り破った男の足だけが部屋の中へと侵入してきた。
 だが、その上半身は無くなっている。

「き、きさまぁ。我々に盾突くつもりかっ!」
「知らねぇよ。そっちが先に攻撃してきたんだろうがっ!」
 残りになった二人の男たちとアキラが口論を始める。
「アキラ。剣を――」

 ユウナがそう言い終わらぬうちに2人の男達が、尻もちをついて倒れているアキラに襲い掛かる。
 ユウナの目の前には、アキラの愛剣が置き去りになったまま。彼が今手にしているのは銃のみ。そして彼には銃スキルがない……
 瞬時にそこまで考えた彼女は、新たな愛剣『クインズ・ソード』を手に、彼らに詰め寄ろうとした。

 だが、
「ユウナ。やめろっ!」
 アキラの叱責まじりの言葉に、彼女は体をビクつかせて止まる。
 そう叫んだ彼は飛び上がると、目の前に迫った男のすぐ脇に移動する。
 
 異常ともいえる速さに、相手は全く反応できなかった。
 アキラが剣を手にした状態だったらこれで終わっていたであろう。だが、今は銃しかない……
 ユウナが心配そうに見つめる中。アキラは『ソード・フィッシュ』を剣のように振り回すと、反応できずに脇立ったままの男の頬を霞める。
 その瞬間、アキラの手から一発の弾丸が撃ち出された。相手の顔面がはじけ飛ぶ。
 さらに銃の衝撃を利用して移動速度を上げたアキラは、最後の一人となった男にも同様の切り付けるようなモーションで相手の眉間を霞める。

 引き金を引こうとしたアキラだったが、その指先に加えた力を緩めた。
「お前は見逃してやる。マオ・リンに伝えておけっ!
 金輪際二度と、俺達には関わるなってな!」
 怯えた表情になった男は、そのまま振り向かずに走り去っていった。
その男を尻目に、ユウナが尋ねる。
「アキラ。銃が使えるようになったの?」
「いや。離れた相手には全然だよ。ただ、こいつはその名の通り『ソード』なのさ。」
 アキラの行っている意味が分からず、首を傾げるユウナに彼は説明する。
 この『ソード・フィッシュ』。威力が高い分、その精度や連射性に劣る。この銃の本来の使い方は、先程のように相手に接近して切り裂くように撃つ銃なのだ。
 あの『シエスタ』の商人曰く、元々剣のように撃つために作られた銃を普通に使えているリズが異常なプレーヤーだった、ということなのだそうだ。

 さすがに思いつきで引っ越したため、満足な調理器具もなかった。2人は仕方がなく、買い物に出かけると購入したオードブルをテーブルの上に広げる。
 目の前に御馳走が並んだことで、急に食欲が増す。

 だが、彼は食事にありつく前にやらなければならないことがあった。
 アイテムボックスを広げると、そこからお目当てのアイテムを選択し、ユウナに対して贈る。
「ん?」
 すぐに彼女は声を漏らすと、ディスプレイを操作し始めた。
 そして、彼女の前に1つのアイテムが出現する。
「それ、誕生日プレゼントだよ……」
 照れたアキラは、ぶっきら棒に答えた。
 ユウナは包み紙に包まれた四角いオブジェクトを開くと、目を輝かせた。
「わぁ。なにこれ。貰っていいの?
 ありがとう」
 彼女が手にしていたのは滴をあしらったシルバーのネックレス。真ん中には一応、ダイアモンドの石が入っている。
 特に効果があるわけでもないが、金額だけは一人前の値段である装飾アイテムだ。
 アキラにしてみれば何の価値もない代物であるが、女であるユウナには別だった。
「滴の形は『無限』で、『永遠』、エターナルって意味だよ……」
 実はこのアイテムも、『シエスタ』の商人が選んでくれたものだ。この『永遠』という意味も彼が教えてくれた。
 あの大柄な男のどこにそんなセンスがあるのか知らないが、彼の感覚は間違いなかったようだ。
 ユウナは文字通り、飛び上がって喜んだ。
プレゼントを渡す緊張から解放されたアキラは空腹を満たすため、目の前に並んだオードブルを撮み始めた。その様子を隣で見ていたユウナが微笑む。

 二人は食事にすませると、部屋でくつろいでいた。不意に、無防備だったアキラにユウナがすり寄ってきた。
「ねぇ。今日は一緒に寝れる?」
「ぶっ!」
 思わぬ言葉に、アキラは噴き出した。
「いや。それはまずいだろ。今日一日中ゲームにログインしているんだし、親も心配してるだろう?」
 HBOをプレー中、現実の自分たちは眠った状態となっている。普段の彼らは、夜中に眠りながらプレーしているが、今日は休日ということもあって昨日からずっと眠りっぱなしの状態なのだ。

 さすがに3日連続で目を覚まさなければ、アキラの親でも文句を言うだろう。
「うちね。週末は親だけで出かけてるの。だから家にいても一人なのよ……
 アキラがまずいなら別にいいんだけど」
 彼女にそう言われて断る理由もない。親に文句を言われることなどいつものことだ。
「わかった。今日はうちに泊まっていけよ」
 ちなみに、HBOは夜の行為は禁止されている。HBOでは最初にプレーヤーの体をスキャンして、ゲームキャラクターを作成しているのだが、その際に生理的な部位は一切モデリングされていないのだ。
 そういった配慮がされていないゲームはR20のレッテルが張られ、アキラたち未成年者にはゲームをプレーすることもできないようになっている。

 2人で1つのベッドで眠る。幼馴染の彼らにとって初めてではなかったが、今はもう十分な大人である。そして、彼らの関係はそれ以上のものとなっていた。
 アキラの腕を枕代わりにした彼女の髪がアキラの鼻孔をくすぐる。風呂上がりの彼女からは、白檀の官能的な香りがした。

 緊張のあまり、なかなか眠りに付けないアキラ。
 彼はリズのこと、そしてユウナたちが明日戦う『紅蓮魔道会』のことを考えると、静かに瞳を閉じた。

感想・読了宣言! 読んだの一言で結構です