1章4話

 アキラたちが日本人地区で、地下鉄のクエストを攻略している頃、中国人向けの都市、『シャンハイ』の路地裏に一人の少女がいた。
 緑の髪を二つに束ねたリズは、繁華街のメインストリートから外れると後方を振り返った。
「私のファンだか知らないけど、しつこく後をつけてくるのはやめてくれないかしら?」
「…………」
 普段の片言の言葉でないのは、それだけ彼女が真剣だということだ。
 ビルとビルの間から見える、通りを行き交う人たち。
 狭い裏路地は、メインストリートに比べ、光源が弱くなっている。
 薄暗い怪しげな空間を繰り出すために工夫がなされているのだろうが、それにしては綺麗な地面である。
 ここが現実なら必ずと言っていいほど存在するだろう散かったごみなど、見栄えの悪いものが一切存在していない。
 ここが人によってコンピューターシミュレートされたゲームの世界だということが良くわかる。

 リズは、メインストリートの陰から一向に姿を見せない相手に苛立ちを覚える。
「いい加減にしてくれ。ここ最近ずっと私の後をつけているようだが、知らないわけじゃないだろう?
 このゲームは、マップを開いただけで、プレイヤーの位置関係がわかるってことっ!
 お前がそこのビルの陰に隠れてることはこっちにばれてるんだ。
 とっと、姿を見せないと、私の銃スキルで弾き出すぞ!!」
 彼女は、姿の見えない相手にそう怒鳴りかけた。

 しばしの沈黙の後、白い細腕がビルの陰から這いずり出てくる。
 意外にも、その腕は女性アバターの様だった。
「ほう。てっきり男かと思ったら、お前女か?」
 強気な態度を示すリズだったが、すぐに顔が強張るのが自分でもわかった。
 腕だけでなく、その女の上半身が這い出してきたからだ。

 不気味なほどに長く真っ黒な髪の女。
 髪の毛と毛の間から微かに覗く黄色い瞳。
 まるで蛇に睨まれた蛙のように、リズは動けなくなった。

 そう、例えていうなれば、その女性は蛇なのだ。
 リズの猫のようにしなやかな動きとは違うジットリとした柔らかな動きで、その女性の全身が彼女の前に現れた。
「フフッ。ひさしぶりねぇ、リズ。
 私のことっ、おぼえているかしら?」
「……ええ。もちろんですよ。マスター『マオ・リン』」
 マオと呼ばれた女は、粘つくような黄色の瞳で、リズを見据えている。

 リズは、自分の体が小刻みに震えているのがわかった。
――私。この女に恐怖しているのか。
 無理もなかった。今目の前にいるこの女は、リズにとっての天敵。
 そして、かつて師と仰いだ程の存在なのだから……

 マオ・リー――彼女は、四天王結社であり中国最大の秘密結社でもある『紅蓮魔道会』の最高責任者なのだ。
 このゲームでただ一人、人間と『蛇』の混血種である彼女は、HBOでも5本の指に入る実力者であった。
 数ある混血種の中でも最強クラスの種族、それが蛇。

 しかも、HBOをプレーする誰もが知る伝説、人とドラゴンの混血種。
 未だ誰もなし得えていない最強の種族である『ドラゴン』に進化するためには、蛇の血が必要だとまことしやかに噂されている。
 それは、このマオ・リンの血が必要だということだ。
 そんな噂が存在するのにもかかわらず、『ドラゴン』が誕生しないのは、この女が誰にも血を流させられたことがない証拠である。

 そんな伝説級のプレーヤーが、リズの目の前に存在していた。

「リズ。いえ、リズナブリットっ!
 あなたに問うわ。『血約の証』というアイテムを知っているかしら?」
「……『血約の証』?そんなものは知らないな。
 どこでそのアイテムが欲しいのなら、出現するポイントを教えてくれ!
 暇なときにでも私が探しに行ってやろう」

 リズは、目の前で彼女を捉えている黄色い目を真っ直ぐに見据えて否定する。
 彼女はその間も後ろ手に回した両腕で、別の作業をしていた。
 目の前にいるマオに気づかれない様に慎重に行動していたのだ。

「とぼけても無駄よ。『血約の証』はドロップアイテムじゃあないって知ってるでしょう!
 あれは秘密結社を新規に作る為に、各結社ごとでユニークに存在する代物なのだから……」
「なるほど。秘密結社を作る際に必要なアイテムの事だったのか……」

 知らないふりを続けるリズに、マオは穏やかな口調のまま続ける。
「そう。そして、そのアイテムは3カ月以上マスターの所有物でなくなった場合、システムが自動的にその結社を解散させてしまう。
 今現在、HBOでは新規結社の作成はできなくなっている。
 結社が解散すれば、新規に作り直すことはできないわけよ」

 現在、HBOは『クローズド』な運営を続けている。新規プレーヤーの参入だけでなく、秘密結社の作成も中止されているのだ。
 しかし、通常そのようなことは起こりえない。
 プレーヤーの所有物が他人に渡る方法は3種類しかないのだ。

 1つはそのプレーヤーが死亡した場合、HBOではプレーヤー死亡と同時に、全ての所有物が倒したプレーヤーに渡る仕組みとなっている。
 この仕組みが常にプレーヤー間の紛争起こす引き金となっているのだ。

 2つ目は、他のプレーヤーにアイテムを譲渡した場合。
 自分の意思で他のプレーヤーにアイテムを渡したということだ。

 そして最後に、レアなケースではあるが、アイテムを取り出して所有者の手から離れた状態で30秒以上経過した場合、そのアイテムを他のプレーヤーが拾うことができる。
 このシステムは、パーティーを組んだ際にプレーヤーが倒した敵からドロップしたアイテムを他のプレーヤーが拾うことのできるように採用されたシステムである。
 30秒間の猶予があるのは、自分が倒した敵からドロップしたアイテムを他のプレーヤーの横取りされないための猶予期間というわけだ。
 さらにこのルールは、プレーヤーの所有物からドロップしたアイテムにも反映される。
 仮に、リズが自分の銃を自分の手から離した状態で30秒が経過すれば、他のプレーヤーに横取りされてしまう。

「盗まれるなどまずありえないだろう?
 それに、そんな大事なアイテムを紛失するような人間に、マスターを任せる結社なんてなくなってもしかたがないな。」
 リズは自分の感想を述べたのだが、マオは少しだけ体を震わせると、冷静な口調で告げた。
「そう。そうかもね。
 残念ながら、私の『血約の証』がなくなって2か月が経ったわ……」
「…………」
 二人は無言の沈黙になった。
 マオが『血約の証』をなくしたということは、四天王結社『紅蓮魔道会』の存続が危ぶまれるということである。

「もちろん。このことを知っているのは、一部の幹部だけよ。
 そして、盗んだ犯人の動機がはっきりしたわ」
「?」
「私の『蛇の血』の事は知っているわよね?『血約の証』は、小瓶の形をしているのだけど、中身は私の血なのよ」

 最強の種族。『ドラゴン』に進化するためのキーアイテムである『蛇の血』。
 その血が入った小瓶を手に入れた犯人は、いったい何をするだろう。
 『ドラゴン』への進化を目指す者は、迷うことなくそのアイテムを使うに違いない。
 ユニークアイテムである『血約の証』は、使用されればマスターの所有物として返ってくる仕組みとなっている。
 2か月経った今も、そのアイテムがマオの元に返却されていないという事実は、同時に別の事を指していた。

「誰かが『紅蓮魔道会』を解散させようとしているということか?」
 そこまで考えたリズは、目の前にいる蛇女に尋ねた。
「ええ。そして、私は2か月前にうちを抜けたある人物が犯人だと思っているわ!」
「……ん。私を疑っているのか?」
 話の成り行きが判明したところで、マオは態度を変貌させた。

「そういうことっ!さっさと返しなさいっ!!」
「ふざけるな。私が持っているとどうやって証明するつもりだ?」
 リズはそう言ってすぐに、答えを自分で導き出した。
「まさか……私を殺して全所有物を奪って確認するつもりかっ!」
「……あなた。最初に言ったわよね。マップを確認すれば、プレーヤーがどこにいるのか分かるって!確認してみるといいわよ。
 自分のおかれた状況がすぐにわかるはずだから」

 マオにそう言われ、リズはすぐに自分の腕時計型ディスプレイに目をやる。
 慣れた手つきでマップを選択すると、3Dで飛び出した立体マップが表示される。

 青いマークが自分の位置。
 そして、その青の前に表示されている緑のマークが他プレーヤー。
 この場合は、マオを指している。

 周囲に表示されたマークはそれだけだった。
 今リズがいる裏路地を抜ければ、すぐにメインストリート。
 中国人向け都市『シャンハイ』には、常に多くのプレーヤーが存在しているはずだ。
 にもかかわらず、プレーヤーはたったの二人しかいなかったのだ。

 マップを広域にするリズの額から汗が流れ落ちた。
――まさか。そんなことが……
 彼女が予想した通り、どんなに広域にマップの表示範囲を広げても緑のマークは見当たらない。

 正確には別のポイントに5つの緑マークが密集している箇所を発見した。
 だが、それが何を意味しているのか、すぐに理解できる。
 そのポイントは、他の都市へと移動するテレポート地点になっている。
 この場所に集まっている5人のプレーヤーはおそらく、マオの腹心の部下たちであろう。
 リズが他の都市へ逃げるのを阻止しようと待ち構えているのだ。

「マオ。きさまは何様のつもりだ。どんな特権を使用したら、プレーヤーたちが帰る街を占拠できるというのだ?」
「ふふっ。邪魔者は即排除するのが私のやり方よ。
 それだけ、私のホンキが伝わってくれると、うれしいのだけど……」

 リズは、目の前で冷笑を浮かべる女を睨み付けると、
「自分たちのわがままで……いったい、どれだけのプレーヤーを死亡させたというのだっ」
 そう言い放った。

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