1章2話

 地下一階にエレベーターが止まると、その中から二人の少年と少女が出てきた。
 一人は黒いマントに身を包んだ少年プレーヤー……
 そしてもう一人は、白い羽織を着た少女。ただしこちらは人間ではない。
 彼女はシステムが作り出したNPC(ノンプレーヤーキャラクター)、つまりAIである。

 非常事態にもかかわらず、モタモタと歩く彼女に嫌気がさしたアキラはその細い右手を掴むと強引に歩き始めた。
「お疲れ。アキラ。
――女の子の腕をそんなに強引に引っ張るもんじゃないヨ」
「いいんだよ。どうせ、人間じゃないんだし……」
 少し片言の日本語で話しかけてきたのは、緑髪の少女リズだ。

 地下1階は駐車場になっているらしく、リズはその中の一か所を指指さした。
 そこだけ、緑色のサークルが表示されている。

 アキラは躊躇なく緑のサークルへ歩き始めると、いまだ掴んだままのNPCを乱雑に放り込んだ。
 すぐさま鳴り響くファンファーレと同時に、アキラの視界に1つの数字と『クエスト・クリアー』の文字が浮かび上がる。
 
 そう、これはゲームの世界の話である。先程の敵たちはゲームのモンスター、今アキラに手を引かれている少女は、このクエストに登場するNPCなのだ。
 さっしの通り、彼女をモンスターたちから救出することがこのクエストの達成内容である。
 
 そして、表示された数字の方は、今回のクエストで受け取った報酬金額である。
 『40000HBP』と表示されたそれは、このクエストにはリズと一緒に参加している為、半分となっている。二人合わせて80000HBPがもらえたことになるのだ。

「4万ってことは、4000円か……
 あれだけのリスクを負ってこれっぽっちかよ」
「まぁまぁ。囚われのお姫様を助けたんだから、いいじゃないかっ」
 愚痴をこぼすアキラをリズが宥めた。

 二人は近くに並んでいた乗用車のボンネットに腰を下ろす。

 
 一通りの世間話と明日の合流時間の打ち合わせが終わると、アキラはその場から離れようと立ち上がった。
 その瞬間、建物全体が大きく揺れる。さらに銃声が鳴り響いた。
 彼らの居るフロアよりももっと上の階層でなにかが起きているらしい。
 二人はすぐに右手に装着された腕時計型の装置を起動させると、フロアマップを表示させた。
 そこには、二十名近いプレーヤーを表す緑のポイントが表示されている。
「っち。どうやらどっかの『結社』が、多人数でクエストを始めやがったらしい……」
「うむ。ワタシらも巻き込まれないうちにホームに戻りましょうカ」
 二人は互いに手をあげて別れのあいさつを交すと、それぞれのホームへと帰って行った。

 アキラは、近くにあったテレポート専用の赤いサークルの中へと入る。すぐさま彼の視界にメニュー表が表示された。そこには複数の街の名前が明記されている。アキラは自分のホームである『アキバ・シティ』を指でタッチした。
 
 殺風景な地下駐車場から近代的なネオンの光る街並みに視界が一転する。
 この街は、最近解放された日本人ユーザーのホームシティだ。
 
 見慣れた景色の中、少年は先程のシステムオペレーターが発した言葉を思い出していた。
 アキラがこのVRMMO、いわゆる体感型オンラインネットゲームを始めて3000時間が経過したという現実を思い知らされていた。
 
 そして、腕時計型のディスプレイを操作すると、システムタブに表示された『ログアウト』ボタンをタッチした。

 アキラの思考は、すぐさま現実世界へと引き戻される。
 パジャマ姿の何処にでもいる普通の高校生――
 それが彼のリアルだ。
 目を覚ましたアキラは、自分の細い両手を見て思う。
――ゲームの中じゃあ、世界中の屈強なプレイヤー相手に物ともしない俺でも、現実はこんなものだよな……

 今、彼が一番ハマっているゲーム。それが『ハイブリッド・ブラッド・オンライン』だ。
 このゲームの最大の特徴は、オンラインゲーム界最大の禁忌『リアルマネートレード』が公式に認められていることだ。
 すなわち、ゲーム内の通貨がそのまま現実世界の金額に換金できる。
 レートはその日によって逐一更新されるが、現在は一定して十分の一。
 ゲーム内通貨であるHBPの十分の一が現実の日本円に換金できる。
 
 このゲームが世界に発表されたのは、およそ一年前。
 生活資金を稼ぐことができるゲームということで世界中が注目した。そこから僅か半年で、三千万人のプレーヤーが集まる。
 そして日本語版が公式に開始されたのは、他国から遅れて半年前である。
 当時の日本は今世紀最大級の大不況に見舞われ、日雇いで生活に苦しむ大人たちや仕事をしていない人々――いわゆるニート層がこぞって参加をはじめた。
 なかには現実社会に疲れたサラリーマンが、会社を辞めてまでゲームに費した者もいる。
 
 アキラは、日本語版が正式にサービスする以前から参加していた。
 当時から、通訳機能に『日本語』が搭載されていた為、特に言語に支障をきたすようなことはなかったが、一人で外国人と一緒にゲームをプレーすることには、多少の抵抗があった。その為、彼は一人の少女をこのゲームの世界へと誘ったのだった。
 今は理由あってなかなか共にプレーしたりはできないが、彼女はアキラの幼馴染であり、同じ高校に通う同級生である。

 この『ハイブリッドブラッドオンライン』――通称HBOは、瞬く間に参加者を増やしていったのだが、そこには大きな盲点があった。
 体感型ゲームとしては、致命的ともいえる欠点。
 それはゲームの難易度である。ゲーム空間に転移できるのは自身の意識だけであるが、そこでの活動は、プレーヤーそれぞれの現実での身体能力に影響したのである。
 すなわち、現実で身体能力の低いものは、たとえ最高の身体能力を持ったアバターに転移しても、その性能を100%利用することができないことが判明したのだった。
 最初のうちはそれでもゲームを楽しむことができていた。
 しかし、リアルマネーへと換金するための仮想マネーであるHBPを多く稼ぐことのできる上級クエストをクリアできない者が続出したのだ。
 
 運営側としても金銭にかかわる以上、簡単に難易度を下げるわけにもいかない。
 世界的にも異例な規模の参加者を集めたHBOであったが、その参加者数は次第に激減していくこととなる。
 結果として、HBOはわずか一年でサービスを終了したのであった。
 
 ではどうして、アキラが今現在もそのゲームをプレーできるのか。
 それはサービスを『クローズド』しただけであって、ゲームシステム自体を削除されたわけではなかったからだ。
 
 通常、オンラインゲームにはその試作期間として一部の先行参加者を募って、ゲームシステムを調整する『クローズド』期間を設けることが多い。
 この期間には新規のプレーヤーを登録することはできないのだ。
 その後正式版として新規プレーヤーが登録可能な、『オープン』の状態となる。
 
 だが、このオンラインゲームは、そのまったく逆の状態で運営を再開したのである。
 新規プレーヤーが登録可能な『オープン』の状態から、新規登録不可能な『クローズド』へとサービス体系を移行したのだ。
 
 現在、HBOに参加するプレーヤー数は300万人程度。
 しかも、その参加者たちは、難易度の高いクエストをクリアできたいわゆるゲーム界のエリートということだ。
 噂によれば、鍛え抜かれた軍人や格闘家、さらには中国系マフィアなんかもゲームに参加していると聞いたことがある。
 そして、一番多い参加層としては、個人の能力ではクエストを攻略できないが、複数人でパーティを組めば、なんとか高レベルクエストをクリアできるという連中だ。
 
 正確には、アキラやリズたちもこの層に属することになるのだろうが、やっかいなのはその参加人数だろう。
 多いパーティーでは30名ほど集まったプレーヤーたちが、推奨参加人数二名程度のクエストに参加するのだから問題だ。
 彼らは圧倒的火力で敵を一掃すると、同じクエストをひたすら繰り返すのだ。
 体感型オンラインの特徴上、1つのクエストに1パーティーのみしか参加できない。
 仮想空間と言っても、その場所は一つしか存在しないからだ。
 他のパーティーはひたすら待ちぼうけをくらうことになる。もしくは、さらに高レベルのクエストに挑戦するしかない。
 
 だが、ここに一番やっかいな問題がある。
 このゲームは『クローズド』であることに加えて、もう一つ制約がある。
 それは、一度HPがゼロになり、ゲームオーバーしてしまうと強制アンインストールされてしまうということだ。しかも再インストールはできない。
 この制約があるため、プレーヤーは安易に高レベルのクエストに参加できないのだ。
 
 アキラは今まで自分が横たわっていたベッドタイプの装置に手を置く。
 これが仮想世界へダイブするためのハードである。
 流線型の巨大なベッドは横になるだけで、眠りながら意識だけをネットワークへ飛ばすことができる。
 体は眠っている状態であるため、利用者は睡眠時間にネットができるという画期的な代物だ。
 
 この装置を開発した中国のG−NAV社は、世界一の大企業へと変貌を遂げた。
 奇しくもその世界一の大富豪である社長の令嬢の名前は、リズの正式名と同じ『リズナブリット』という少女なのだ。
 アキラはテレビで彼女の素顔を観た時、髪形は違うがリズと容姿が似ていたことを覚えている。そのことでリズと一悶着あったのだが、結局は流されてしまった……

 アキラは顔を洗い、制服に着替えると玄関へと向かっていた。
 突然、玄関に一番近い扉が開かれる。

「明か。これから学校か?」
「うん。父さん……仕事から帰ってきたんだっ」
「ああ。ようやく休暇が取れたんだ」

 アキラの父親は警視総監であり、さらには国内で唯一のテロ対策を受け持つ組織、MPCの指揮官も務めている。
 厳格な父であるため、彼が夜な夜なゲームの世界に入り浸っているなどと、口が裂けても言えないが、ずさんな大人が多い現代社会ではまっとうな社会人であると、誇れる父親だ。
 普段は仕事が忙しいらしく滅多に家には帰らないが、それもまた彼にとっては好都合だった。

 父親に挨拶をすませると、アキラは学校へと向かって歩き始める。

 HBOのゲームシステムは、それほど特異なシステムは採用されていない。
 通常は剣と銃で闘うサバイバルゲームだ。

 プレーヤーたちは混血種という人間と様々な生き物とのハイブリッドヒューマンとなって、暴走した他の混血種を殲滅するというもの。他のオンラインゲームでいうモンスターがこれにあたる。混血種の種類は複数あり初期時に数種類の種族から選べる。また、ゲームを攻略していく過程で、特別な条件を達成することで別の種族に進化することもある。
 とはいっても、最終的にはプレーヤーの身体能力しだいで、無限に戦闘スタイルが確立できるのだが。
 アキラの種族はバンパイアと人間のハイブリッド。
 ちなみにリズは猫と人間のハイブリッドだ。
 この設定がHBOの名前の由来なのだろう。

 このゲームにはもう一つ、『秘密結社』というシステムがある。
 プレーヤー同士が一つのチームを作る、いわゆる『ギルド』的な役割だ。
 ゲーム内容が、組織からの指令でプレーヤーに与えられた任務をこなしていくという設定のため、『秘密結社』という言葉に変わっているが、実際にはプレーヤー同士で徒党を組み、他の組織と戦うことで、その縄張りを広げていくというものである。

 アキラたちは特別意識していないが、なかには種族だけで集まった秘密結社も存在する。
 種族間での勢力争いと称して楽しむプレーヤーたちである。

「明。おはよう」
 突然背後から声を掛けられたアキラが驚いて振り返ると、そこには幼馴染の灰谷優奈(はいたにゆうな)がいた。
 優奈は『ユウナ』というプレーヤー名で同じHBOをプレーしている。
 そして、彼女こそアキラが初めてゲームに参加した際に、声を掛けた人物である。
 プレー期間はアキラと同じく一年前。プレー総時間もレベルも大して変わらないだろうが、ゲームでの功績は圧倒的な溝があった。
 秘密結社に属さず、リズと二人でクエストを攻略していくアキラに対し、彼女は日本サービスと同時に解放された日本人都市、『ネオアキバ』にて、最大の勢力を誇る秘密結社『青天木馬』の副総大将にまで上り詰めているのだ。

「あいかわらず、ご活躍の様だな。副大将殿」
「なによそれ。……明は相変わらず、あのリズ猫と一緒にちまちまクエスト攻略やってんの?」
 リズ猫とは、アキラとユウナでのリズの愛称だ。彼女が『猫』の混血種であることからきている。
「まぁ、俺はお前みたいに人の上にたつのも、人となれ合うのも得意じゃねぇからな……」
「そんなことない……」
 ユウナは急に虚ろな表情になると、顔を伏せてしまった。
 なにかまずいことを言っちまったかとアキラは気をもんだが、彼女はすぐにいつもの調子に戻る。
「ねぇ。今度昔みたいに2人でクエストしようか……」
 アキラと目を合わさず、前を見据えたまま彼女がそう言った。

 ユウナとは小学生からの幼馴染。
 そして、高校生になった今もなお、同じ学校の同じ教室にいる。
 もはや腐れ縁だろうなと、アキラは苦笑いをこぼした。

「明。朝からなにをニヤついてんだよ。
――やっぱりお前らって、そう言う関係なのか?」
 教室に入るなり野次を飛ばしてきたのは、友達の愛染空(あいぜんそら)だ。
 アキラとユウナは同時に否定する。
「そんなわけあるか!」

「あらあら。朝っぱらから綺麗にハモっちゃって!
 うちの副大将は、結社の中でも人気ナンバーワンなんだから、明君も鼻が高いわよね?」
 そう言って横やりを入れてきたのは、苗橋香(なえはしかおる)。
 その隣には、小林燐菜(こばやしりんな)がいる。

 この三人はいづれもソラ、カオル、リンナというプレーヤー名でHBOをプレーしている。
 そして、ユウナが副大将を務める秘密結社『青天木馬』のメンバーだ。
 彼らは、半年前に日本正式サービス開始からの参加者である。
 その為、アキラやユウナに比べるとややレベルが劣るが、それでも数少ない日本人プレーヤーの中では上級者だといえる。

「明。もし優奈を泣かすようなことがあったら、いくらアンタでも私の正拳突きをくらわしてやるからねっ!」
「ぐえっ」
 すぐそばにいたソラの脇腹に軽く突きを入れるカオル。もちろん本気ではなかったが、ソラが大袈裟に痛がった。
「あたし、ゲームはからっきしだけど、こっちじゃあ小学の時から空手やってんのよ!
 その辺の男共なんて即倒よっ!」
「即倒させられるんじゃなくて、卒倒させられる美人と仲良くなりてぇなっ」
 ソラがそう言って、カオルを茶化す。
「あん!なんだって?……卒倒するような美人になら即倒されても良いですって!?オッケー」
「香。お前の蹴り、まじで痛いから勘弁してくれよ」
 ローキックの構えを取ったカオルに、珍しくソラが真顔で言った。
 この2人はいつもこんな調子だ。仲が良いのか悪いのか……
 ソラのボケに、強烈なツッコミを入れたカオルだった。
「痛ってぇ!」
 その様子を傍から見ていたアキラは『覚悟しておくよ』と笑って答えた。

「……なぁ。最近、狩場が少なくねぇか?」
 席に着いたアキラに、後ろの席のソラが尋ねてきた。
「ずいぶんいきなりだな。
 まぁたしかに、最近は外国人プレーヤーが大人数で独占してるからな……」

 一番最後にできた日本人向けの都市『アキバシティ』。
 その近くで参加できるクエストは、比較的難易度の低いクエストが多い。
 その為、レベルの低い外国人プレーヤーも頻繁に出入りしているのだが、近ごろではクエストの独占をする輩が増えている。

「なんだっけ。あの中国人結社」
「ああ。『紅蓮魔道会』か?」
「そうそう。あいつらの下っ端が、幅を利かせてきやがるんだよ。
 前にあいつらに文句言ってやったらよ。
『俺たちのバックにはあの紅蓮魔道会がついてるんだぞ』って脅かしてきやがった……」
ソラの話を聴いていたアキラもついカッとしてしまう。
「なんだよそれ!」
「だろ?四天王結社を味方につけてるからって、いかにもなセリフ吐きやがってよぉ」

 四天王結社。
 世界中にプレーヤーを有するHBOの中で、特に最強と言われている4つの秘密結社を指している。
 ちなみに日本人結社で最強に位置する『青天木馬』でも、20位以内に入るかどうかである。

「わかったよ。俺も紅蓮の連中とクエストで鉢合わせることがあるから、それとなく文句を言ってみるよ」
 教室に担任が入ってきたのを確認したアキラは、小声でソラにそう伝えた。

感想・読了宣言! 読んだの一言で結構です