1章14話
「うおおおおおおおお」
「はああああああああ」
アキラとユウナは左右に分かれると、マオの周りを囲むように走り始めた。
2人の様子を中心にいた彼女の黄色い瞳が見据えている。
アキラは『ソード・フィッシュ』の銃口を後ろへ向けると弾丸を発砲する。
もちろん、後方に標的がいるから発砲したわけではない。彼はその反動を利用して加速しているのだ。
続けざまに『2、3……』と連続でトリガーを引いていく。その度に彼のスピードは急上昇していった。
アキラはその速度のまま壁を駆け上がると、重力を無視して走り続ける。
次の発砲で近くにあった建物の柱に飛び移った彼は、同様にして柱から柱へと空中を飛びまわった。
同じく、ユウナもワイヤー付きの銃で、壁から壁へと上昇して行く。
壁をボールが弾むように動き回る彼ら。2人は立体的な動きでマオを翻弄する。
そして、全く同じタイミングでマオに向かって両側から飛び出していった。
少し高度があったアキラは、マオの向こう側にいるユウナとのタイミングを合わせていた。
HBOの攻撃システム、コンビネーションスキルを発動するためだ。
他プレイヤーと、特定のコンビネーション攻撃を与えた場合、通常のダメージに加え、ボーナスダメージが加算されるのだ。
この攻撃が決まれば、最強クラスの強敵である彼女にも瀕死のダメージを与えることができるだろう……
幸いマオは2人の動きにはついていけず、明後日の方向を向いている。
「うらああああっ!」
「はあああああっ!」
2人の攻撃が同時にマオを捉えようとしていた。
――タイミングバッチリ!確実にもらったっ!!
アキラはそう思ったが、同時に妙な違和感を覚える。あのマオ・リンが、こんなにも簡単に敵に接近を許すだろうか?
そして、彼の違和感は現実のものになる。
ユウナより高い場所にいた分、アキラは先にその存在に気づくことができた。
一見無防備に思えるマオの足元から、無数の『蛇の頭』が突き上がるのに。
「くっ!」
アキラはとっさに『ソード・フィッシュ』を撃ち放つと、その衝撃で迫ってきた蛇から回避した。
受け身なしに地面に激突したアキラの息が零れる。同時に彼のHPバーがわずかに減少した。
「きゃああああっ」
ユウナの叫び声が聞こえ、まだダメージから回復していなかったアキラは、自分を奮い立たせて起き上がった。
彼の目に飛び込んできたのは、右足を蛇の頭に貫かれ、地面に倒れ苦しむユウナの姿だった。
「あ……ああっ」
彼女は体をビクつかせて痙攣していた。その口元から真っ赤な鮮血が滴り落ちる。
ユウナのHPバーがごっそり60%にまで削り落とされると、そこからみるみると減少を始めた。
「私の鞭は形を限定しないのよ。幾本にも分散できるのっ!
さぁ、アキラくん。そろそろ決断する時よ!!」
そう言ったマオは、アキラに『血約の証』を渡す様、迫った。
◆
「くそっ……くそっくそォ……」
目の前で最愛の人が苦しみ、弱っていく様を見せられたアキラは自我が崩壊させていった。
マオ・リンの血液が収められた小瓶。『血約の証』をアイテムボックスから取り出したアキラはそれと目の前で苦しむ少女を交互に見ていた。
不意に涙を流したユウナの瞳と目が合う。
彼女は小刻みに震えながらも、確かに首を横に振ったのだ。
それは、あの女に『それ』を渡してはダメだという意思表示である。
アキラは眉を『ハ』の字に歪めた。どうするのが正しいのか、彼にもわかっている。
マオにこのアイテムを渡してはならない……だが、彼にはこの状況が耐えられなかった。
例え彼女のHPがゼロになって、HBOの世界で会えなくなったとしても、現実に戻ればユウナにいつでも会える。それは頭で分かっているのだが……
迷うアキラに、止めと言わんばかりにマオが惑わす。
「さぁ。早く彼女を楽にしてあげなさい!」
「くっ。どうせこれを渡しても……その解毒剤をくれはしないんだろっ!」
「きゃはっ!それは私の気分しだいよ。ほらっ!早く頭を下げて懇願しろよっ!!」
アキラは悔しさのあまり、自分の唇から血が出る程強くかみしめた。
ユウナに残された時間は持ってあと10分といったところか……
アキラは決断する。
――10分以内に、あの『蛇』女をぶっ飛ばす!
そうと決まれば1秒でもおしい。アキラはそのまま全速力で走り出した。
猛スピードで直進するアキラの前に、無数の斬撃が舞い踊る。
変則的な動きを見せる彼女の鞭は、幾本にも分裂する。それら1本1本が生きた個体の蛇のようにうねりをあげ、空間を切り刻んでいた。
アキラは我武者羅にそれらを切り砕いていく。
戦術もくそもない。ただひたすら最短距離で標的まで突き進むのみだった。
時折、さばき切れない攻撃を、左手の銃で撃ち落とす。
「うあああああああっ!」
何とか目標まで迫ったアキラは、眼前に立つマオ・リンに渾身の一太刀を見舞った。
遠距離に強烈な攻撃を与えることのできる『鞭』。反対に接近戦においては得意な武器ではない。
彼女との距離を詰めて接近戦にもっていったアキラは、『勝った』と確信していた。
だが、そんな彼に残酷な一撃が襲いかかる。
「ぐわあっ」
アキラは声を上げて後ろに弾き飛ばされた。
突然彼の目の前に強烈な一撃が飛んできたのだ。間一髪のところで、剣でそれを受け止めたアキラだったが、せっかく詰め寄った距離がまた開いてしまう。
――なんてこった。決めなきゃならないタイミングだったのに……
もう二度とマオに接近することなど不可能だろう。
そう彼の心が折れようとしたその時、
「あ……あきらめないでっ!」
ユウナの渇いた声が響いてきた。彼女は苦しい状況の中でも、必死に声援を送ってくれたのだ。私との日々をあきらめるなとも捉えられる。
アキラはユウナと過ごした日々を失いたくはなかった。とても、とても大切なものを失おうとしている。
そんな中、残酷にも彼女のHPは30%を切ろうとしていた。
「ぬあああああ!絶対あきらめらんねぇよっ!」
そう叫んだアキラは、再びマオの蛇地獄の前に身を投げ出していった。
「はぁ。往生際の悪いガキだねぇっ!同じ手が……二度も通じるわけないでしょ?
あんたの攻撃は直線的すぎるのよ……」
ここにきて、はじめてマオは動き出したのだ。
彼女はアキラのすぐ脇へと一瞬で移動する。
「っ!?」
その、あまりの早さに、アキラは全くついていけなかった。
彼女の吐息が耳に掛かる程接近を許してしまう。そして彼の脇腹を『蛇』の頭部が貫いた。
「ぐわっ」
彼の脇腹から鮮血があふれ出すと同時に、大きくHPバーが削り落とされた。
そして、彼の全身を『毒』が回り始める。
「あっ、ああっ……」
自然に体が脈立つと全身が痙攣を始める。立っていることのできなくなった彼は、そのまま床に崩れ落ちた。
「あんたと私じゃ格が違うのよっ」
そう言ったマオは、動けなくなったアキラを見下ろしながら告げる。
「さぁ……助かりたいんだろ?これをやるからさぁ。『血約の証』を渡しなっ!」
彼女は手にした解毒剤の小瓶を揺らしながら言う。だが、アキラは苦しみでそれどころではない。そんな彼の傷を負った脇腹を彼女は踏みつけた。
「うぐっ」
とたんにアキラは息を漏らす。そして……ゆっくりとした動作でマオの血が入った例のアイテムを取り出した。
「さぁ、そいつをよこしなっ。ちゃんと約束通り解毒剤をくれてやるから!
……っても、1個しかないから2人共は助からないけどねっ」
彼女は空の右手を差し出して、アキラからアイテムを貰おうとする。
アキラは『血約の証』を握りしめた右手をゆっくりと近づけていった。
「うっ……お、お前にくれてやるくらいなら――」
突然、アキラは力いっぱいそのアイテムを握りしめたのだ。いとも簡単に『血約の証』は砕け散った。
中に入っていたマオの『蛇』の血が、握りしめたアキラの右手を伝う。
「きゃははっ。ユニークアイテムは、破壊された場合本来の持ち主に戻ることも忘れたのかしらっ?まぁそんな渡し方されたんじゃあ、こいつは渡せないわね!」
そう言ってアキラから足をどけたマオは、手にしていた解毒剤を床に叩き付けた。
中に入っていた緑の液体が地面に流れ出る。
「助かりたければ、床でも舐めることねっ」
マオはアキラに背を向けると、すぐさま自分のアイテムボックスを確認し始めた。
――くそう。結局、俺達は負けちまったのか……
せめて、プライドだけは守ろうと、床を流れた解毒剤を睨んだアキラ。
「きゃはっ。ついに私の元に返ってきたわっ!」
マオは、手に入れた『血約の証』を天に持ち上げて喜んだ。
――どくん。ドクン。ドクっ、ドク、ドク、ドクドクドクドクドクドクッ……
な、なんだ!?急に鼓動が――
「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」
「へっ?」
拍子抜けした声を上げて振り返ったマオは、地面を這いつくばるアキラを見た。
彼の体からは火花が散っている。
「あ、アキラっ!」
「な、なにっ!?私は何もしてないわよ?」
心配するユウナと事態が飲み込めていないマオ。
2人の耳に、パシャーンという甲高いエフェクトが聞こえてきた。
それと同時に、アキラの頭上に表示された緑色のプレイヤー名≪アキラ≫の文字が砕け散った。未だかつて、プレイヤー名が消えることなど、誰も見たことも聞いたこともない。
彼は顔を伏せたままゆっくりと起き上がる。
そして、顔をあげた。
彼の瞳はマオと同じく、黄色に変色していた。
「あ、あんた。このタイミングで『蛇』に進化したとでもいうのっ?」
「違う……」
マオの質問に、感情の無い声でアキラが答えた。
「最強の混血種――『ドラゴン』に進化したんだっ!!!」
アキラの黄色い瞳の中心から、さらに黒い瞳孔が開いた――